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ソウル陥落と遅滞行動 (朝鮮戦争3)

これは1950年6月29日の釜山日報です。1面トップ見出しでは
米軍が第七艦隊を派遣して直接の軍事支援に乗り出すことを書いています。
負けている気配は新聞から読み取るのは困難です。ただ・・・
左下に大田に臨時遷都すると小さくコメントしています。昨日(6/28)ソウルが陥落した為です。 釜山日報6.29

ソウルがあっけなく陥落した原因は
漢江に架かる鉄橋を韓国軍が早期に
爆破した為と言われています。

米軍顧問は必死になって止めたの
ですが、国防次官の命令だとして
難民でいっぱいの橋を爆破して、
多くの命を奪っただけではなく・・・

劣勢な武器でソウル防衛に懸命に戦って
いた韓国主力の第一師団、第三師団、
第五師団、第七師団、首都師団は退路が
爆破されたと知ると装備を捨て退却する
しかありませんでした。

5個の師団は壊滅し、政府を信じて働いて
いたソウル市民は取り残され途方にくれ
混乱しました。

そこに戦車を先頭に北の軍がソウルに
進入しました。

右図は次第に後退していく国連軍の前線です。

米軍を中心とした国連軍は当初は北を甘く見て
すぐ撃退できると考えたのですが・・

ソ連から北に供与された最新の戦車と訓練された
軍隊に驚き、各地で苦戦していました。

軍事用語で遅滞行動と称する敵の進撃を遅くして
退却する時間稼ぎの作戦しか取れませんでした。

圧倒的な空軍力で制空権は確保していましたが
前線はしだいに下がり、8月7日には釜山を中心と
した狭い防衛地域になりました。


釜山日報6.30

これは1950年6月30日の釜山日報です。
びっくりするような嘘の塊です。!

こうなったら良いだろうなぁと夢で見た事を
韓国の李承晩大統領は広報に命令して
新聞に 載せたのでしょうw

これを真に受けた釜山市民は災難です。

これ以後の新聞の1面はすべて戦意高揚の
ための勇ましい文面だけで、読む価値は
無くなっていきます。

各地で苦戦している米軍と韓国軍将兵は
最後の防衛拠点である釜山橋頭堡まで
押されて 後退していくのですが退却の
ことは触れないで、言葉遊びになるのです。

勇ましい文面で遊びながらも、釜山まで追詰
められたと感じた李承晩大統領はソウル
市民を捨てたように 今回は釜山市民を捨て
済州島への遷都を秘密に検討を始めました


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