朝鮮戦争の始まり
釜山や韓国の近代歴史を見る時 大きなキーワードのひとつが朝鮮戦争です。
これを詳しく見ると 釜山.韓国の歴史の理解が深まるような気がします。
軍事や政治の方向から見た朝鮮戦争の詳しい解説は多いのですが 釜山の歴史の視点から
分かり易く書いた朝鮮戦争のページは少ないので書いてみる事にしました。
1950年6月25日(日)米ソが北緯38度で分割占領した
国境の全線に渡って一斉に北が南に侵攻を始め戦争が
始まりました。(参照
朝鮮戦争の概要)
西端の甕津半島にいた守備隊は早朝攻撃で壊滅
東海岸の注文津、江陵、三陟、墨湖、蔚珍、九龍浦に
ゲリラ部隊を上陸させて退路の脅かす事に・・
そして主力はソウルめざし、開城、春川、江陵も
同時に攻撃を受けました。
奇襲と戦車を含む大部隊の攻撃を受けた南は各地で
突破され敗退しました。
北は8/15の解放記念日を釜山で祝う為に50日の戦闘
作戦日程を計画し、逆算して6/25の総攻撃が決定され
たようです。
これは6月27日の釜山日報です。
27日に初めて侵攻の報道がされました。
しかも勝っているような論調です。
6/25の当日は仕方ないですが26日には
報道があっても当然ですが27日になって
釜山の市民は開戦を知るのです。
東海岸の各地をゲリラが上陸しましたが
三陟の上陸だけは阻止できました。
ゲリラの乗った漁船2隻を対戦車砲で
沈めたのが大型艦船撃沈になっています。
国連安保理事会は26日に北を非難する
決議をし、米国は参戦する決意をする
のですが・・27日には首都を水原に移し
ソウルの陥落に備えました。
政府の発表した事だけを書くしか方法の
ない新聞で報道された情報だけでしか
戦争の概略を知るしか方法がなかった
からです。
このような報道なのでソウルで多くの市民が
逃げ遅れた理由が理解できます。