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釜山守備隊
釜山西女子高等学校
釜山守備隊は京城-釜山の間の電信
回線の守備を目的として明治20年に
大邱の八十連隊の派遣隊として設置
されました。最初の場所は西町の郵便局のすぐ北側
に駐屯していましたが明治30年に地図の
場所である龍頭山の北側の山麓を整備し
兵舎を建設、移転しました。釜山の町の発展につれて 手狭になった
ので明治38年 大新町に新兵舎を建築し
移転準備を始め、明治41年に移転完了
しました。
大正時代の釜山守備隊の正面です。
大正10年現在の兵員数は160名
後ろの山は亀峯山です。
前の川は寶水川の上流
昭和に入ると ここは陸軍築城部が
使うようになったことが地図に
記されています。陸軍築城部の詳細は不明
陸軍築城部は軍事施設なので戦後は米軍の
管理になったことは確かですが・・・
それ以後は不明です。釜山直轄市時代の地図によると釜山
女子南第一中学校として利用された
ようです。現在は釜山西女子高等学校(1983年開校)
敷地になっています。(2010/04撮影)
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