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釜山海軍航空隊
(金海国際飛行場)釜山日報の昭和8年6月の記事です。
(クリックで拡大)帝国飛行協会の四天王延孝中将が現在の
金海国際飛行場のある大渚付近を視察して
飛行場として最適であるとし、翌年から通信
機器などを備えて飛行場として完成させたい
と述べた記事です。この時から飛行場として好ましい場所だと
認め られました。
昭和19年に大村空済州島分遣隊が今の金海飛行場のある
慶尚南道金海郡大渚面に航空基地を作りました。昭和20年2月11日釜山海軍航空隊の名前で訓練基地が
開かれ、予科連教程を終わったばかりの若者が操縦士を
目指して各地から集まってきました。釜山海軍航空隊は操縦専修教程の訓練で陸上飛行機の
九三式中間練習機を使った中練教程練習航空隊です。最後は実戦基地として特攻隊の訓練をしている最中に
戦争が終わりました。司令は予備役大佐だった林季樹(すえき)(海兵32期)を現役に復帰して指揮官としました。
林家の婿養子で改名前は「香取末吉」
写真はノーベル書房「わが海軍」288頁の釜山海軍航空隊から引用
この地図は 米軍が作った地図です。
日本軍の施設はすべて米軍の管理に入ったので
釜山海軍航空隊の基地も当然、米軍施設になり
ました。名前は釜山西飛行場(PusanWest)となっています。
朝鮮戦争でも使われたと思います。(調査中)
1976年8月1日 海雲台にあった水営国際飛行場から金海国際空港に国際航路が移転して 新しい
釜山の空の玄関口となりました。
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