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草梁補助飛行場

敗戦で日本人が引き上げた後に釜山に入った米軍は3番埠頭、4番埠頭の後方に 並んでいた
日本が作った米蔵は必要がなくなったのですべて撤去して、簡易飛行場を 作りました。

朝鮮戦争が始まると共産軍の攻撃から釜山橋頭堡を 維持する為米軍は輸送通信施設の
増強にかかりました。

釜山のメイン飛行場は釜山東飛行場釜山西飛行場でしたが 補助飛行場と 付帯設備として
大渕の龍沼飛行場を建設・整備し  草梁補助飛行場にも朝鮮戦争の間は小型連絡機や輸送機の
離着陸が頻繁にあったそうです。

戦争が終わると飛行場として使用はなくなり、現在は広い道路(忠壮路)の一部とコンテナヤードに
なっています。  



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