現在の金海国際空港が1976年8月1日に開くまで水営飛行場が釜山を代表する国際空港でした。
飛行場は米軍が作ったものと思っている
釜山市民が多いのでが・・・
実はそれ戦前に陸軍が海雲台陸軍飛行場と
して作った飛行場でした。
当時の海雲台飛行場にあった部隊編成は
第66独立飛行中隊、 206飛行隊 225飛行場大隊
226飛行場大隊
海雲台地区には第四八航空地区
司令部がありました。
図は戦史叢書(本土防空作戦)から引用:
米軍の作った地図です。
釜山東飛行場(Pusan East)と記述されています。
米軍はここを拠点飛行場として整備し、米國
第5空軍が駐屯していました。
朝鮮戦争のとき整備・拡張されました。
独立した韓国は米軍が整備した飛行場を引き継いで
1958年8月30日から釜山水営飛行場と名前を
変えました。
1963年から日本航路が開始し国際空港になりました。
1976年に国際空港が金海に移転した跡の水営飛行場は
コンテナ置き場や
資材置き場として使われていました。
1988年のオリンピックを機会に公園や道路として整備され
現在 釜山市立美術館や大規模展示場のBIXCOなども
整備されて
飛行場だった痕跡は消えつつあります。
航空写真を観察すれば飛行場だった姿がわかります。
写真はワールドマップコリア(株)の釜山航空写真地図(1997)
現在は区画整理が終わり、センタムシティと呼ばれる高層アパートが林立する地域で
東洋最大の規模といわれる新世界百貨店(新世界UEC)も
建設中で 新たな釜山の中心街として大きく生まれ
変わろうとしています。
釜山映画祭(PIFF)のメイン会場も南浦洞からここに 移転しました。