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草梁倭館時代2
(貿易用倉庫)
前回は草梁倭館の居住区の様子でした。
今回は居留地の西側にある貿易倉庫に
ついての説明です。地図では右が北、上が西、左が南
下が東です。龍頭山の西側には釜山に居留地を置く目的
である貿易用の倉庫地域になっています。明治のころの金額で年間30万円から40万円
くらいの貿易額だったようです。朝鮮の輸出品
米、人参、大豆、牛、牛骨、牛皮、砂金、海藻
紙、虎豹皮、鯨骨、団扇、油紙、煮海鼠(ナマコ)対馬からの輸出品
唐木綿、陳皮、菓子、錫、蜜柑、酒、砂糖、蝋燭
綾木綿、素麺、銅銭、甲斐絹、胡椒、傘、陶器、
天竺木綿、煙管(キセル)、銀貨、硫黄、鉄砲、
火薬、明礬、鏡、絹紐
倉庫地域部分の拡大です。
倉庫は朝鮮の東莱府が作ったもので
対馬との公貿易の品々を保管、管理
していました。倉庫地域全体を「西館」と呼ばれていて、
6つの建物は「六行廊」、
3つ建物は「三大廳」と呼ばれ、右から
「東大廳」、「中大廳」、「西大廳」の
名前が付いていました。釜山が日本人専轄居留地の契約後に
建物は明治政府と朝鮮政府で買収の
話がまとまり日本人所有になりました。
[東大廳]のあった場所です。
釜山の繁華街の光復美花通を大廳路との
交差点から撮りました。 視点方向は南東大廳だった建物は福田増兵衛が買取り
福田醸造所という酒屋にしていました。
戦後、撤去されて、右の上が斜めにカット
された高層アパート(龍頭山マンション)が
建ちました。(2009/04撮影)
「中大廳」は釜山が開港後 東本願寺が
朝鮮政府から永代無償貸付を受けて別院を
開きました。中大廳の建物は堂宇として本願寺が大事に
保存していましたが戦後、破壊撤去されて
現在はコンクリートの大覚寺となっています。(2009/09撮影)
[西大廳]のあった場所です。
the terraceという喫茶・レストランとなって
います。明治10年の頃ここに豹が現れて吉副某が
槍で仕止めたのを見て居留民は皆が驚いた
という話が残っています。豹皮を日本に輸出していたので生息していた
のは確かでしょう。朝鮮の王妃の閔妃は豹皮を多数繋いだ敷物に
座るのを好んだ記録もあるようです。(2010/01撮影)
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