重要な釜山港を破壊ではなく、港湾施設を どのように利用したほうが良いかと米軍は 検討を始めたのです。
正確な海図を基に 重要施設を接収する 準備ので印をつけています。
航空写真を基に更に詳細な建物の配置まで詳しく 情報地図(intelligence monograph)も作っていました。
会社名まで載っているので釜山の商工業の歴史を 検証する資料としても重宝です。
昭和になってできた第3埠頭や第4埠頭がない、 大正時代の地図と施設名の一部を 墨で消した地図を 使ったのは 不便になっただけで 徒労であった 可能性が大きい事が分かります。