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大正時代の新町名

明治42年から 釜山と草梁の市街を分断していた
営繕山と領事館山を削り平らにし4万6千坪の
平地を生み、その土で3万590坪の海面埋立をする
工事が始まったのです。

大正8年に完成して 新しい町ができました。
(大正7年8月15日:新住所施行)

領事館山には英国領事館があったのですが
上海にあった日本の租借地と等価交換して
入手し、工事ができるようになったのです。

山を削り出来た平野の真ん中を路面電車の
軌道が走り、山側を栄町1丁目から三丁目に

電車軌道と国鉄線路の間を桐生町に

国鉄線路の間を蔵前町と高砂町にしました。

その後 桐生町は栄町4丁目、蔵前町は栄町5丁目
高砂町は栄町6丁目になりました。

国鉄線路の間に町名をつけても人があまり住ま
ない場所の統計を取ったり、新町名を置くのは
無駄だとして翌年4丁目から6丁目は廃止になり
鉄道用地と栄町に吸収になり消えました。


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