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古館倭館時代

  
江戸幕府を開いた徳川家康は朝鮮との平和な関係を 修復したいと考えて、
對馬藩を通じて修好交渉を行ないました。

豊臣秀吉の日本軍との戦乱で国土を荒らされた朝鮮は警戒して返事を渋っていました
平和的な付き合いを望んでいることが分かったので国交を認めたのです。
(慶長14年:己酉条約)

釜山市民図書館所蔵 将軍が代わる毎に修好の朝鮮通信使を
江戸まで送ることになりました。

徳川家斉の代に中止するまで
10数回 続きました。

開港する港は1箇所、今までの釜山鎮の場所より南に寄った場所を指定しました。
そこに出来た 日本人居留地が古館倭館です。

現在の地名は東区水晶洞になっています。

この付近は古館という旧地名をつけた
店も多く この写真は古館入口の薬屋です。

バスの窓から撮りました。ハングルで大きく
「古館」と書いてあります。

この場所は海が浅く 船の出入りが困難だったので、
日本居留地の人たちは移転を何度も申請していました。

對馬藩士「津ノ江兵庫」の努力で 龍頭山横に居留地が
認められて、移転ができました。

命を削った交渉の努力を記した碑が古館公園に立て
られました。

写真:古館公園の北側の現在の様子
(2006/12撮影)

昔の古館公園はなくなり、記念碑もどうなったか
不明です。普通の住宅地になっています。



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