昔の広告を見ているだけで当時の企業の朝鮮
市場での
取り組み方が分かるような気がします。
広告は濃縮ミルクを販売している「金線ミルク」です。
昭和3年の東亜日報からです。
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上の新聞広告の住所で金線ミルク組合は釜山府
弁
天町にあった薬屋の
大黒南海堂にあったことが
分かり興味深い資料です。
牛乳は日本で使用されたのは明治になって北海道で
本格的に乳牛生産が始まってからです。
朝鮮でも牛は肉や労役専門の家畜なのでミルクの
市場での流通はありませんでした。
日本から濃縮ミルクが朝鮮市場に流れていきました。
金線ミルクは三井物産が朝鮮の市場に供給していました。
三井物産は朝鮮総督府から特産品の輸出の
指定業者として独占してしました。
ライバルの三菱系商社のメリー・ミルクの広告は探して
いますが朝鮮内の新聞では見たことありません。
三井物産は京城支店をメインに
釜山出張所など
各地に拠点を作って
いました。