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日本家屋と温突(オンドル) 


下記の写真は大正14年の京城大洪水の時の日本家屋の写真です。
龍山駅の付近には多くの日本人が住んでいて 鐵道の官舎だけでも約800戸が あったようです。
龍山鐵道官舎

暑さ対策に心が向いた日本人の建てた
家屋は朝鮮の地であっても住み慣れた
日本式 でした。

日本家屋は屋根を高くし、床の通気を
良くする事を考えた夏の暑さ対策が
住まいの基本です。

反対に住居の基本を冬の寒さ対策とした
温突(オンドル)があるのが 朝鮮式住居
の特徴です。

朝鮮に渡った日本人の多くが九州や 中国地方の比較的暖かい地方の人たちだと言うことも
理由のひとつと思われます。 参照:釜山の出身別人口統計(大正13年)

冬の寒さの厳しさを実感した日本人の一部は日本家屋の1部屋をオンドルに改造する
人たちが増えてきました。ほとんどの日本人は寒さに震えながら昔からの日本家屋の
ままで、火鉢やコタツだけで冬を過ごす人達が多かったようです。
後にストーブなどの暖房器具も普及して冬に備えていました。

朝鮮総督府鉄道交通局の鉄道官舎にオンドルが出来たのは、終戦の3年くらい前のことでした。

朝鉄(朝鮮鉄道梶jの社長の社宅には、洋式の応接間、和室3、食事室、 こども部屋、 女中部屋、
キチンがあり、食事室の半分がオンドル、子供部屋がかなり広く、畳2畳 以外の 部分が
オンドルでした。別に2階和室が2間あったようです。

暖房は、主としてペチカ(語源はロシア語)と呼ばれる ストーブですが、ロシアのように壁に作りつけの
ものは ごく少なく、ストーブの一種でしょうか。 学校の教室はだるまストーブ

鉄道官舎では、5等官舎以上は自宅に風呂場が ありました。
それ以下は、自宅に風呂場はなく、 官舎の敷地内にある銭湯を利用。しかし、冬は寒くて 大変です。
全ての官舎には物置があり、これが、2部屋に分かれているのを利用して、1部屋を風呂場に して
いる家庭も多くありました。


龍山鐵道官舎にお住まいだったASさまからのレポートを参考に作りました。
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