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映画の広告(家なき天使)

映画(家なき天使)

大東亜戦争の始まった翌年 昭和17年4月の
新聞 「釜山日報」に載った映画広告です。

2本立てになっていて 釜山の南濱町にあった
昭和館で 上映されました。

映画の内容はすべて朝鮮語で会話が進め
られていて、日本人でも内容が理解ができる
ように日本語の字幕が付いている映画が
オリジナルです。

日本語吹替版を作って内地での上映も試みた
ようです。しかし内地での興行は吹替技術が悪く
客が集まらないので早めに打ち切りになった。

このように朝鮮の俳優で朝鮮語で朝鮮の
話題を取り上げる朝鮮の映画会社での
製作が 増えていたのです。

朝鮮語の使用に規制があったとか禁止されて
いた と言う誤解が多いのには戸惑います。
映画(家なき天使)

「家なき天使」は孤児院の話で悲惨な生活
から孤児院で成長し、日本軍人として志願
するという戦意高揚の宣伝映画です。

満州事変で大陸で戦火が広がっていた
当時ですから国策として推薦されたのです。

朝鮮総督府はこのような 現地の文化
活動を応援していましたが そのような
事には触れず過去の自国の文化活動を
無かった事にしたり、隠そうと努力する
韓国の人達に出会うと とても悲しい気分に
なります。

最近 韓国で この映画がDVDに発売になって
[ 発掘された過去]のタイトルの4枚セットで見る
ことができます。

監督の崔寅奎は 朝鮮戦争の時 北に拉致されてしまい
その後 収容所で亡くなったらしいと言われています。

(2004/07撮影)
この作品は朝鮮製作映画で初の文部省推薦の映画になったけど、日本上映にあたり内務省から
のクレームが出て文部省推薦を取り消す事となり、フィルムも検閲で200mほどカットされたようです。

カットされた箇所は 皇軍将兵の武運長久を祈って正午に黙祷をする場面のようです。
これは 京城日報に投稿があって、そこから正午に黙祷する運動が広まっていました。

内地では戦時体制の生産増強中なのに 朝鮮ではのんびりと電車も止めて、みんなで黙祷して
いたのが習慣になっているのを内務省は問題としてカットを命じたのです。

戦況が厳しくなると朝鮮総督府も黙認できなくなって黙祷運動の中止命令をだします。


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