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髷と断髪
朝鮮時代の男子は結婚して髷(まげ)を結う事で一人前の男としてみなされました。
結婚前は総角(チョンガー)と呼ばれる髪を後ろで束ねていました。結婚式前の吉日に元服として髷を結う儀式が行われました。
占士が示した方角に向いて座り、父親またはそれに準ずる人が
頭のてっぺんを3寸(約10cm)くらい円形に剃り、そこに髪を結い
上げます。網巾とよばれる鉢巻で頭を締め上げて出来上がり、その上に冠
(帽子)をかぶります。
結髷は大事な元服の儀式として
衣冠を正して父母や親戚一同
に挨拶し、祖先の位牌に供物を
捧げる事が朝鮮の伝統文化と
して長く行われていました。1895年12月30日 突然断髪令が
出て人々を驚かせました。甲午改革と呼ばれる金弘集の出した近代化政策の
ひとつが 断髪令でした。
京城内では断髪しない役人は解雇となり、町を歩く人たちを巡査が捕まえ 強制的に断髪したようです。
地方では各地で断髪に抵抗があり、暴動までおきました。ロシア公使館内に宮殿を移転した国王はロシアの意向をうけて親露派の朴定陽を総理大臣にして、
断髪令や近代化政策を撤回する御触れを出しました。
喜んだ人々は総理大臣だった金弘集を路上で捉え撲殺し、昔の生活習慣に戻ることになりました。
人々が髷を進んで切ったのは明治42年(1909)1月 大韓帝国 純宗の地方巡啓の時からです。
純宗が大田をご訪問され、大田郡主 他55人を召見することが伝えられると、断髪の国王に髷姿で会うのは
恐れ多いと して歓迎で沿線に並ぶ予定の人たちは断髪するため散髪屋に殺到しました。
そのため市内の散髪屋は連日 徹夜で営業することになったと記録にあります。ご訪問予定地の大邱、釜山、馬山なども散髪屋は大繁盛だったとありますが、日定に余裕があったために
大田のような徹夜騒ぎは無かったようです。
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