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お人形さまのお客さま  (米国人形歓迎の歌)


青い目の人形

古本屋を巡り、昔の本に出会うと
昔の光景が浮かぶようで楽しみです。

昔の女子高等学校の音楽の教科書を
買ったら、中に新聞の切り抜きが挟んで
ありました。

このような出会いは大好きです。
青い目の人形

切抜きの裏を見ると、武者小路実篤が新聞に
書いた連載小説がありました。

このことから 昭和2年(1927)2月26日の
大阪朝日新聞からの切り抜きだと言う事が
分かりました。

当時 高等女学校だったことは 生きていれば
現在90才を超えている計算になります。
青い目の人形

青い目の人形は昭和の始めアメリカから
日本との友好のための贈り物だったのです。

たくさんの青い目の人形が届いたので
全国各地の学校などに配られました。

青い目の人形を歓迎する歌がいくつも作られ、
新聞各社はそれぞれに懸賞をかけて作詞
作曲を 募集したのです。

この歌も他社の優勝した歌もすべて忘れ去ら
れてしまい、現在だれも知りません。

みんなの印象に残った歌だけが残りました。
人形歓迎の懸賞募集とは無関係に作られた
野口雨情の「青い目の人形」だけになっています。

日米が戦争を始めたとき 多くの人形が壊され
たり捨てられてしまいました。

心ある一部の人たちに保護された人形だけが
現在も大事に 保存されているようです。

この曲は 大阪朝日新聞社の募集に1等に
当選したものです。
単に それだけならここで取り上げる事は
無かったのですが・・・

興味を引いたのは作詞者です。

作歌:朝鮮 鄭旭朝となっています。

朝鮮の各地の学校にも青い目の人形達が
訪れました。
大邱高女の青い目の人形


友人の「工場の月」さんがこの曲をMIDIで
作ってくれました。
オルガンの音色が当時の雰囲気です。

お人形さまのお客さま

伴奏もついてたのでそのまま入力しただけ
(真ん中当りにリタルダンド追加してます)
ですけど,著作権,いまいちはっきりしないけど
たぶん 切れてるとおもいます


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