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ジェネラルモータース(GM)


ジェネラルモータース(GM)

自動車時代の始まりを作った フォード自動車
米国で1920年に追い抜いて、それ以後 現在まで
世界の最大数の生産を誇る大会社がジェネラル
モータース(略称:GM)です。

オルドモ-ビル、シボレー、キャデラックなどの
会社が合併を繰り返しできた会社なので多くの
車種を持ち、流行にあわせて新型車を発売する
ことでさらに車種が増えてきました。

フォードの質素・剛健で1種類のみの製造販売とは
異なった社風が 多くの人の好みと合致して人気を
呼び販売数を伸ばしたのです。

GMは 日本だけの販売ではなく 半数を中国市場に
投入することを視野にいれ 大阪に昭和2年(1927)
日本ジェネラルモータース株式会社(GM)を 設立
しました。

GMもフォードと同様に米国からすべての部品を運んで
現地で組み立てるノックダウン方式の工場なので港に
近い事と4年の免税処置など誘致の為の優遇が大阪を
選定した理由でした。
ジェネラルモータース(GM)

この広告は東亜日報に掲載されたものです。
(上:昭和3年11月11日 中:昭和3年11月23日
下:昭和3年12月20日)

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日本で組み立てられた自動車は朝鮮・満州・中国
などアジアの各地に販売されました

市場の奪い合いの宣伝合戦が繰り返し行われ
日本語の新聞だけではなくハングル版での広告も
増え朝鮮の人たちの購買意欲をも誘ったのです。

この広告は力と美の「ビュック」の宣伝です。
大衆向けの「シボレー」や高級志向に特化した
大型の「キャデラック」など合併前の製造路線を
そのまま生かした経営をしています。


ジェネラルモータース(GM) GMも月賦販売を行い、自動車を購入する所得レベル
の拡大を図りました。

ジェネラルモータース(GM)は各地に特約店(ディラー)
を置いて、総特約店が米国の「WWテイラ−商会」です。

自動車が便利だとして 売上が増えたので米国の
クライスラーも昭和10年に横浜に工場を建設して
米国のビックスリーと呼ばれる会社の日本上陸が
出揃いました。 

国産車の保護育成を図る日本政府の方針で50%以上の
外国資本の自動車生産を禁止する法案(自動車製造
事業法)が昭和11年にできました。

100%子会社方式だったフォードはこの法案で打撃を
受けましたが、GMは得意の合併方式を生かして 日産
自動車との合併を模索

昭和16年戦争が始まり日本ジェネラルモータース
(GM)の自動車工場は軍に接収されて終了しました。


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