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大興電気の社史
隠された秘密?
朝鮮総督府の電気統制法の発布による指導で朝鮮全土にあった電気会社は地域ごとに統合されました。
朝鮮南部は大邱に本社のあった大興電気 が中心になり6社の電気会社が合併することになり、
南鮮合同電気株式会社が昭和12年3月にできました。今まであった大興電気や朝鮮瓦斯電気など各社は社史を作って今までの歴史を残し、その中で新しい
南鮮合同電気の成立を祝い、朝鮮総督府の政策を強力に支持しています。朝鮮瓦斯電気の社史を読むと、新会社を祝福してはいますが、悔しさが行間に溢れているのを感じる
ことができ、トップ頁に社長の香椎源太郎のしかめっ面の写真を持って来たことでより印象的に不満と
不快感を表現していますw (名前をクリックして表情をご覧下さい)
大興電気の本社です。
南鮮合同電気は大興電気が核となり、
社長も大興電気の米倉武之助が就任
したので大きくなって喜んでいると
思っていました。大興電気の社史でも新会社を賛辞で
埋めています。文章を素直に読んで、特別に違和感を
感じる事はありませんでした。
社長の写真を見ても普通です。
大興電気の社史で上の本社と対比で並べて
出した新会社の南鮮合同電気本社です。2つの写真を見比べた読者は6社が合併して
発展し大きな建物に成長した様子を感じる
と思います。ビルの中央部分には昭和12年(1937)8月に
第一次近衛内閣が唱えた標語がかかって
います。「堅忍持久」「国民精神動員」「皇道宣撫」
国民精神動員運動は昭和14年(1939)に
大政翼賛会の成立で廃止されました。この事から1937年-1939年に撮影された
南電本社の写真と思ってしまいます。
(本社所在地:釜山府土城町)
ところがこの写真の建物は南電本社ではありません。
(戦前の釜山府で最大の建物は三中井百貨店(6階)でした。)京城にできたばかりの「半島ホテル」の建物の写真です。 参照:google画像検索
社史は通常、役員、社員や関係者・図書館などに配って会社の歴史をアピールするために
利用されます。社史に関係ない「半島ホテル」の写真を本社建物だと記して載せても関係者
にはすぐに分かるのが普通です。では何故?
写真は朝鮮瓦斯電気本社ビルです。朝鮮瓦斯電気の社史には南朝鮮合同電気に
吸収合併されることになったが南電本社は
釜山に置いて、朝鮮瓦斯電気本社建物を
使う事になった事が記されています。大興電気の社史でも同じように釜山府土城町
にある朝鮮瓦斯電気会社本社の建物を新会社の
本社として使った事が記されています。それでこの建物を使った事は間違いあり
ません。雰囲気は似てますが大きさが異なります。
南電=南朝鮮合同電気と略
米軍が1945年4月に撮った釜山の写真です。
南電本社ビルの増築などは無かった事が
確認 できます。発電・瓦斯工場用地内や付近に新築された
別建築物のあった様子もありません。
上記の写真と同じ方向から撮ったものです。
現在は韓国電力公社の釜山事務所として
使って います。「半島ホテル」の建物の写真を造り社史に
載せた 事は分かりましたが・・・理由はまだ分かりません。
推測ですが・・・
大興電気の社長の米倉武之助が合併への
不満を このような形で表現したのでは?合理的な理由は浮んできません;;
(2005/08撮影)
背景を確認して、理由がわかるまで楽しみに調査を続けたいと思います。理由や背景は とにかく1次資料である社史に このような事実と異なる写真を載せると後世の
人たちは建物が存在したと無条件に信じて混乱する可能性が高いので困ったものです;
最初は存在しない建物で、合成写真だと思っていましたが・・・・
Suzuki様から「半島ホテル」の写真であるとの情報をいただきました。
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