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レート化粧品(平尾賛平商会)

レート化粧品のハングル広告

戦前は「東のレート、西のクラブ」と言われ化粧品
メーカーの 2大トップでした。

美に対して敏感な女性は東西を問いません。
朝鮮市場でも浸透して
そこでも勢力を争うようになったのです。

日清日露戦争後上流階級に迎え入れられ
規模を大きくしていきました。

東亜日報:昭和3年11月9日より
レート化粧品のハングル広告

明治11年(1878) 平尾賛平商店は東京で創業し、
昭和24年(1949) レートに社名を変えました。

レート石鹸は時勢に応じいろいろなネーミングで
発売されています
分捕石鹸、勲功石鹸、占領石鹸など日清戦争の推移で
つぎつぎ出ていました。

明治39年(1906)に「乳白化粧水レート」という西洋流の
牛乳浴や牛乳洗顔の日本でのルーツになりました。

東亜日報:昭和3年11月10日より
レート化粧品のハングル広告

大正7年(1918)にレートメリーの名前で発売になった製品は
クリームと白粉がセットされたもので「1品で1分で」と
の文句で宣伝され女性の人気を集めたのです。

北風からお肌を守るレートメリーのクリームを作ったのですが
レートは戦後の経済の逆風に耐えることができませんでした。

東亜日報:昭和3年12月20日より
レート化粧品のハングル広告

昭和29年(1954)会社更生法を申請しました。
ライバルのクラブは別名で復活したのですが、
レートは惜しまれながら業界から消えていったのです。

東亜日報:昭和3年11月18日より

最初の2枚は画像をクリックすると拡大してご覧に
なれます。お楽しみください。


レート化粧品の広告 「レートクレーム」と書いた大きな屋外広告が
京城(ソウル)中心に立っていました。

化粧品の名前だと知らない方には意味が
不明な広告かも知れません。

この写真は三越百貨店京城支店の 屋上から
写したものです。 京城郵便局、朝鮮銀行、朝鮮商業銀行、
三越百貨店、丁子屋百貨店など面した
京城(ソウル)の中心大広場です。

写真:絵葉書京城100景より


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