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釜山に渡った最初の女性

日本と朝鮮の間で明治9年(1876)2月に江華島 条約が締結されました。

朝鮮の自主独立、釜山・仁川・元山の開港、日本 公使館・領事館の設置、日本人の
領事裁判権を 認めることなどが条約の内容です。

女性

条約の以前にも釜山には対馬の人たちが交易の
ために男性だけの短期居住者として 昔から特別に
住んで
いました。 女性の渡航は禁じられていました。

条約の締結で日本政府の許可を得れば日本人なら
だれでも釜山居留地に行く事ができるようになり、
釜山在住の商人はすぐ妻子の渡来許可を申請しました
しかし2月の時点では不許可になりました。

3月に再度申請がでたので本省に問い合わせした所
外務大丞「田邊太一」は時期尚早として不許可の
返事を しました。
10月14日 やっと妻子携行陳情請願に許可を出しました。

11月 釜山勤務の外務6等書記生の「中野許太郎」が
初めて妻を同行し、彼女が釜山の日本人女性移住の
先駆者と なりました。名前は不明、昭和2年没

暑中お見舞い申しあげます。
写真の女性は記事内容と関係ありませんw

女性が釜山に居ると聞いて驚いたのが
朝鮮の東莱府の役人です。
右のような抗議文を出して女性の帰国を
外務省の草梁公館に求めました。

意訳すると彼我の習俗の違いから修好
条約には載せなかったけど、これまでの
慣例を無視しては「義」と「信」とも相反
するので女性は帰国させて欲しい・・・・

この抗議文に対して外務卿の寺島宗則は
釜山居留地内の邦人の居住許可は外務省が
管理することで男女は問わない方針だと
返事をしました。
再反論が朝鮮東莱府から出なかったので この問題は無くなりました。
以後 妻子や婢僕(下女)の同行が公然と行われるようになりました。


約400年前の「天文」時代(三浦の乱)の時に女性の渡航記録が例外としてあり、
それ以外に日本人女性が釜山の地を踏んだことはありませんでした。
明治の釜山が開港して初めて釜山に渡航した女性を取り上げてみました。


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