fSvjXcAa9J3OA
雲揚と陸戦

日本の軍艦「雲揚」(270t)が水を求めてボートで江華島に接近したら 突然の砲台から
射撃されました。

軍艦「雲揚」 これは 外国船と間違えた為だろうと判断した井上艦長は
信号で雲揚号に連絡して釜山の和館で打ち合わせてあった
日章旗をマストに掲げたようです。

それでも射撃が収まらないのでボートに積んであった小銃で
反撃し雲揚に戻りました。

砲台は射撃を続けていましたが、朝鮮の砲は1発が雲揚の
上を通過しただけで他の弾は艦まで届きません。
雲揚の砲は反撃して砲台に命中させ破壊しました

決着を付けたいと思ったけど流れが急で上陸できないので
戦闘を中止しました。

そして翌日 10kmほど南に移動して 永宗島の砲台に砲撃しました。
永宗島の砲台の砲台は突然の砲撃で慌てていて、戦意が薄いと感じた 井上艦長は
急遽 陸戦隊を編成し、攻撃を決定しました。 軍艦「雲揚」

雲揚には約100名の乗組員が乗っています。

通常の艦船の乗員は 艦船を動かす為の職員と
戦う為の兵器を扱う兵科職員の2種類があります。

船の運航に直接係る機関科や航海科、主計科
などは 技術職であって基礎訓練では 兵器の事を
一通り習います。その後の戦闘訓練はありません。

商船で言えば貨物船の甲板員や客船の客室
乗務員が軍艦の兵科のようなものです。
雲揚は小型の測量船ですが洋式砲を2門 装備していたので20人ほどの兵科職員が
いましら。これで陸戦隊を編成したようです。

機関科や航海科の職員が万一 戦闘で負傷 死亡すると船の運航に支障が出るからです。

指揮を執る将校と合わせて22名が短艇 (ボート)に乗って上陸しました。
城攻めの戦闘員として少ないようですが 戦える兵科の人数がこれだけしか乗って
いないので 仕方ありません。

軍艦「雲揚」

城門に肉薄して攻撃するが守備隊も固く守って戦闘が
続きました。 兵を分けて 北門、西門、東門に併進し火を
放って攻撃しました。

敵は35の死体を残して逃亡、陸戦隊は2の負傷
(1人は死亡)です。 捕虜は16名、婦人と負傷者は
保護して釈放。

書類や武器、楽器などを多数押収して、船内に
運び込んだ後 城内に火を放って帰りました。

資料:アジア歴史資料センター
コード:A01000021900


図は東京経済大学図書館の所蔵の朝鮮錦絵コレクションからご提供頂きました。

Home . 釜山旅行の基本情報 . 人物 . 歴史 . 乗り物 . 交通史 . 名所・旧跡 . 釜山の街角風景
. 釜山の街角今昔 . 街角今昔2 . 食べた物 . 昔の生活と文化 . 釜山近代史年表 . 近代史年号