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釜山の開港

明治8年(1875)9月 軍艦「雲揚」が江華島の砲台から砲撃を受ける事件が起こりました。

雲揚は反撃し、陸戦隊を上陸させて砲台や家屋を破壊し長崎に引き上げました。
江華府副師管の前景

その処理をめぐって日本と朝鮮の間で明治9年(1876)に締結されたのが江華島条約です。

朝鮮の自主独立、釜山・仁川・元山の開港、日本公使館・領事館の設置、
日本人の領事裁判権を認めることなどが条約の内容です。

この条約によって朝鮮の鎖国は終わり、釜山が最初に開港することになりました。

写真は両国の全権大使が会談を行なった江華府副師管の前景

明治9年(1876)5月 朝鮮政府は、第一次修信使を(金綺秀)日本に派遣しました。

日本政府は 軍事工場など いろいろな施設を案内しました。

そこで初めて 日本の発展ぶりと世界情勢の変化を知り、開化の必要性を感じる人たちが
朝鮮政府の中にも現れるようになったようです。



図は東京経済大学図書館の所蔵の朝鮮錦絵コレクションからご提供頂きました。
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