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釜山第一桟橋

(関釜連絡船桟橋 )

完成時の釜山駅 明治41年4月(1908)に釜山停車場の開始になり
京釜線は南大門停車場(京城駅)まで直通して
完成しました。

3年間の草梁駅までまでの人力車による遠距離
移動が なくなり 市内の移動になったのです。

京城から国境の新義州までの京義線も同年開通
したので 釜山から新義州までの直通列車も運行を
始めました。

明治38年から5年計画で第一桟橋及び倉庫を作る工事が
総工費148万8千円を以って始まりました。

明治42年からは営繕山と領事館山を削り平らにし4万6千坪の
平地を生み、その土で3万590坪の海面埋立をする工事が
総工費 107万3千円で始まったのです。

明治45年6月第一桟橋(釜山税関桟橋)が完成しました。
上家工事と線路を桟橋まで延長は大正元年完成しました。
興安丸

第一桟橋のホームから見た関釜連絡船の姿です。

第一桟橋が完成したので係留した関釜連絡船の
すぐ側で列車が止まり横断するだけで乗り次が
できるようになったのです。

その後大正7年7月から 第二桟橋も完成したので
第一桟橋は旅客専用、第二桟橋は主に貨物用桟橋
として増加する重要に対応していきました。

現在 国際埠頭の名で 関釜フェリー、 ビートルコビー
カメリアラインなどの日韓航路や 中国航路など釜山の
海の玄関として活用されています。

写真は接岸中の広島航路のフェリー「銀河」

手前は国内線埠頭で濟州島行きの大型フェリーが
泊まっています。

(2005/05撮影)


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