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釜山桟橋(関釜連絡船桟橋)

明治38年の釜山地図と草梁 明治38年(1905)に京釜線が開通したが、
正確には釜山ではなく、1つ手前の草梁駅まで
繋がった。

地図でも分かるように釜山日本人居留地から
草梁駅までは1駅分の距離がある。

そこを徒歩または人力車で通うしかなく
荷物が多いときや雨天のときなど まだ不便
だった。

それでも今まで漢城(現在のソウル)まで陸路を行くと
1週間かかることから 1日に縮む事になった
ことを 皆で祝った。

そして最後の草梁-釜山間の工事を急いだ。

写真は草梁駅


釜山桟橋

関釜連絡船の内地の港である 下関のほうは大型
汽船の 壱岐丸が係留できる大型桟橋などないので
艀で通っていた。

釜山港では発展する可能性を求めてで居留民団の
有志が 関釜連絡船の就航に合わせて桟橋会社(社長:
迫間房太郎) を設立して桟橋を作った。
(資本金10万円で2千株)

桟橋は7個の木製の箱型(120尺x36尺x6尺)を繋いで
接続橋を合わせて全長996尺

これで艀ではなく直接 関釜連絡船を係留して乗り降りが
できるようになり釜山への出入りは便利になった。

桟橋使用料金は 一人5銭、携帯手荷物は無料、
委託手荷物は大小にかかわらず1個2銭
貨物は1頓(トン)あたり20銭

(写真は佐賀県立名護屋城博物館所蔵)
釜山桟橋

重い荷物や多量の貨物の運搬を便利の為
桟橋にはトロッコ用のレールが敷かれていた。


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