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釜山公立第四尋常高等小学校
明治41年1月釜山公立小学校牧島分校として
小学校が始まりました。
明治43年4月に釜山公立第四尋常小学校の
名称で分離独立しました。職員3名、児童89名からのスタートで、
明治45年の最初の卒業生は19名です普通教室14 特別教室2 敷地3,617坪
児童 男288 女263 合計551
(大正15年統計)
島なので父兄会と学校の先生との関係も濃密で、井上謙二が最初は訓導で赴任し、
2回目は第四尋常高等小学校長で赴任した時、歓迎されたようです。大正12年に当時の校長だった中山準之助が第七尋常小学校に転勤する辞令が
出たのを聞いた牧島の島民は団結して反対運動を起こし「我等の校長を返せ」と
父兄会を中心に働きました。
結局、移動は行われましたが後任の校長は苦労したようですw。昭和7年の第9期校舎増築工事で鉄筋コンクリートの校舎になりました。
画像:新釜山大観より:果川市の太虚さま提供
校章は釜山日報(昭和10年2月8日)から
昭和16年 「釜山第四公立国民学校」に改称
昭和18年の釜山第四公立国民学校職員録
学校長:池田正義、教頭:寿崎十四正
訓導:鶴田馨、黒木洋、明坂寛、大倉チドリ、陣内松次、徳田操、濱崎幸男、林良彦、小林修一
白川俊行、西岡染野、阿部周平、大島貞久、山下祐助、免取文子、原田温子、米田ヒサエ、
瀧澄子、淡路英子、渡邊つぎ旧住所:釜山府瀛仙町461
昭和20年 敗戦での日本人引上げで廃校になり
1946年に「瀛仙国民学校」として開校しました。
1996年に「瀛仙初等学校」に改称しました。
2004-5年ごろ廃校 詳細不明現在は高層アパート団地になっています。
(瀛仙アイジョンピアパート)現住所:釜山広域市影島区瀛仙第二洞179
(2007/02撮影)
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