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釜山鉄道病院
釜山報勤福祉会館

 

明治34年 京釜鐵道株式会社の設立時に高野了三が
医療施設の必要を説いて草梁鐵道医務室を造ったのが
最初の病院です。

明治39年7月1日 京釜鐵道の国有化で 鉄道病院も
統監府鉄道局が買収し、直営の 釜山鐵道病院になりました。

画像 左手に木造の病棟が数棟並んでいます。
釜山の路面電車の線路があるので 大正4年以後の
画像です。

画像提供:釜山のJW Parkさま
地図

大正時代の草梁駅付近の地図です。

この地図からすると第三尋常小学校の西側の道路
角にあったようです。

木造病院の時代の鉄道病院はここにあったと思われます。
鉄道病院

大正12年 写真の洋館2階建の鉄道病院
ができました。建坪400坪で最新の医療
設備を備えた病院です。

医学博士:1、医学士:16、薬剤師:2
看護婦:15、事務員:5、小使:5

大倉町に鉄道病院分院がありました

写真2枚 「朝鮮及満州に於ける北陸道人史」287頁
鉄道病院 山田信吉

釜山鐵道病院院長 山田信吉(新潟出身)

千葉医学専門学校を出て、山口の萩病院の
建設にあたり、満州の鉄嶺公立病院に勤務
明治42年 朝鮮に新義州鉄道病院に勤務
明治44年 釜山草梁の鉄道病院に来る

大正4年の釜山日報の年賀広告。


鉄道病院

釜山日報:昭和9年(1934)/10/1:3面
釜山市民図書館所蔵

昭和9年当時は釜山鐵道医務室草梁病院と
呼称していたようだ。

昭和19年4月朝鮮鐵道局が組織変更で朝鮮総督府
交通局に名称変更、病院も釜山交通病院に改称


昭和の地図

昭和11年の草梁駅付近の地図です。

この地図からすると草梁駅のすぐ近くに病院があります。

レンガ造りの大きな病院がこの場所に作られました。
鉄道病院は昭和19年4月から交通病院に名前が
代わっています。


Google地図

Googleの航空写真です。
上の地図の病院敷地を赤の枠で示しました。
中央に見える薄緑の屋根が3.1教会です。

草梁川はフタをされて道路になっています。

敗戦で日本人が引き上げた後を釜山交通病院
の名で大韓民国交通部が使いました。

1946年 病院の建物を一部撤去して 現在の
釜山市庁のある蓮山里に分院を作り移転

蓮山里に鉄道官舎があったのでそこを選択した
ようです。

1949年3月 入院病室を草梁の旧院舎に
移転、交通病院として復帰

写真は釜山交通病院
慶尚南道誌(1963年版)より引用

戦後 撮影されたと思われる写真です。

病院に上がる坂道の両側の石垣に着目
クリックすると拡大

画像提供:申政uさま

1950年 火事があり、交通病院を新築移転
(現在の日本領事館)総合病院として拡大
しました。

鉄道病院だった建物は消えていますが・・
戦前の石垣が残っていることが確認できます。
クリックすると拡大

画像提供:申政uさま

1950年に交通病院が移転した跡地は憲兵兵課所属
陸軍第17 犯罪捜査隊が使用

1960年代後半は旅行将兵宿所デ使われたようです。
2008年から釜山報勤福祉会館として使用

鉄道病院の建物があった場所には
新築の釜山報勤福祉会館が建っています。 (2012年)

画像提供:申政uさま

1944年に米軍が作った地図です。

鉄道病院と草梁駅の位置関係が分かります。

画像提供:申政uさま
釜山直轄市住所地図

釜山直轄市の時の住所地図です。

レンガの古い建物は記述されていません。
この時期には撤去されて消えていると思われます。

交通病院のあった付近の現在の様子です。
この道路の真ん中を釜山の路面電車
通っていました。

左の塀は日本領事館です。
釜山釜山直轄市時代の交通病院のあった場所に
現在の日本領事館が建っています。

(2005/12撮影)


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