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釜山公立中学校
釜山高等学校
釜山の草梁町にあった釜山公立中学校の
戦前の姿です。
大正2年4月に寶水町の高等尋常小学校の
一部を仮校舎として創立しました。
校舎が出来たのが翌年の大正3年です。
普通教室:12 特別教室 3 校庭:8,605坪
生徒数:男554名 女0名 合計554名
旧住所:釜山府草梁町777
(画像提供:明太子のふくや:クリックで拡大)
正面玄関の拡大です。
昭和17年(1942)東大新町に
公立第二中学校が新設され、
公立第一中学校と呼ばれる
ことになったが父兄の反対で
釜山中学の名前を据え置くこと
になりました。
歴代校長
廣田直三郎、平山正、井上庄次、関本幸太郎、加藤常次郎、青柳秦雄、?、近藤四郎
昭和18年の職員録
学校長:近藤四郎
教諭:高橋喜好、久保喜代三、中澤榮治郎(兼舎監主任)、吉弘鎮整、小柳鎌蔵、叫井理助、河野可成、
西川融(兼舎監)、松谷秀雄、尾崎英雄(兼港高女教諭)、野見山俊雄、佐藤信夫、木村章、平野佐之吉
城戸文作、野元遂志雄、土田幸一郎、麻原博視、上田一夫、梅崎保男、岡野重儀、
書記:西村晴雄、野元巽、
嘱託教員:齋藤伊三郎、仁木靖、牧田好春、
講師:相良辰次、山下末勝、櫻井辨治、木村元次郎、福島善正、
助手:義永新蔵
校医:高野了三(鉄道医務室草梁病院長)
配属将校:藤田秀八(陸軍大佐)昭和20年 米国との戦争に負けた日本は すべてを置いて帰国することになり釜山中学校も消えました。
1945年10月釜山中学校(4年制)として開校
1949年 6年制に変更
1950年5月釜山高等学校の設立が認可される
1951年7月 7回(6年制) 仮校舎で卒業式
1978年の卒業アルバムから
正門前の消火放水訓練
この時期まで木造校舎が存在して事が
わかります。
1951年9月 釜山中学・釜山高校を分離
1955年5月 釜山高校の新校舎完成
1960年1月 12教室 新築落成
1963年9月 5階建て校舎完成:図書館3階完成
1969年4月 12教室 新築落成
1978年の卒業アルバムから
軍事教練のようす
現在の様子です。
釜山中学と釜山高校の真ん中に釜山高校の
新しい建物がそびえています。突当りは釜山峠、
左の道を行くと釜山高校の正門前に出ます。
道路名は「草梁路」(2005/12撮影)
釜山峠の交差点から見た釜山高校方面
奥に正門の上にかかっている横断幕が見えます。
後ろの山は亀峯山
道路名は「ヤルゲキル」
意味は「こましゃくれ道」(2009/05撮影)
釜山高校の正門です。
釜山直轄市東区草梁洞806番地
釜山広域市東区草梁第4洞806番地
釜山広域市東区草梁第4洞69番地
釜山広域市東区草梁路40番道23(2009/05撮影)
正門を入って校舎の1階部分
校歌と校訓の碑が建っています。(2009/05撮影)
視点を左に移して運動場と後ろの斜面に建つ
住宅左側の白い大きな建物は釜山コンピュター科学高校
(2009/05撮影)
視点を左に移して運動場と後ろの斜面
方向は西(2009/05撮影)
視点を左に移して運動場と後ろの斜面
(2009/05撮影)
視点を左に移して運動場と南側
(2009/05撮影)
視点を左に移して正門
(2009/05撮影)
正門を出て校舎を見上げたところ
(2009/05撮影)
戦前の旧制釜山中学の敷地が半分になり、
東側は釜山 中学校になっています。(2009/05撮影)
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