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永嘉台

  
永嘉台

永嘉台は風光明媚で趣のある場所として
釜山の名所と なっていました。

朝鮮時代 江戸幕府の将軍が代わる毎に、
朝鮮通信使が挨拶にきました。

漢城(ソウル)から日本に渡るため釜山に
滞在した朝鮮通信使の航海の安全のため
の祈願や 接待などの目的で作られた東莱
府の施設です。

明治34年(9月)に設立された京釜鐵道
会社の線路敷設工事で永嘉台の左側の
港 部分が無くなりました。
永嘉台

釜山鎮から東莱温泉までの 軽便鉄道建設の為
  釜山鎮支城の西門と付近の城壁は撤去され、
永嘉台の南側の海が埋め立て東側の 一部も削られました。
大正10年に 釜山公立第八尋常小学校が北側に
作られ、最後に都市計画の道路拡張 工事で完全に
なくなりました。

釜山の貴重な文化財である永嘉台の建物が消えるのを惜しんだ 大池忠助は 水晶町の丘陵にある
大池公園に私費で移築して保全を図りました。

終戦まで永嘉台の建物はあったようですが・・・
現在 ありません。
いろいろ話は聞いてますが正確なことは分かりません。(情報求む)

現在 子城台公園の南側道路横に新築復元
されています。

当時の建物の様子だけは見ることができます。

昔は この場所ではなく、上の写真のように
木々の多い海辺に建っていた光景を想像
しながらご覧下さい。

(2005/04撮影)

釜山にお住まいの方から投稿がありました。
(2009/5/18)

佐川洞からレールの向こう側、凡一洞に渡る高架
陸橋の近所です。
住所は釜山広域市東区凡一2洞 254-6番くらいと
思われます。

高架の近くに草生した小屋があります。

そこに永嘉台があった場所に建てられた石碑あり
石碑を保護する小屋です。

小屋の中にある石碑です。

1915年ごろ 近隣の青年達が永嘉台を記念して
楼閣が撤去されるとき作った石碑だと言われて
いるようです。


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