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鎮海山徳丸寺
韓国天理教鎮海教会

大正11年(1922)鎮海邑 北街にレンガ造りの
観音寺の本堂が完成しました。

本尊の観音様は北京の鎮海寺に有ったそうです。
義和団事件のとき鎮海寺が燃えたので住職が
観音様を 持って日本公使館に避難して来ました。

日本公使館の通訳として働いていた徳丸作蔵が
観音様を預かっていました

徳丸作蔵は韓国の鎮海に軍港ができる事を聞いて
鎮海という名前に縁を感じて、鎮海に観音寺を
作る運動を始めました。

運動の途中で徳丸作蔵は亡くなりましたが夫人が
後を継いで 寺ができました。

徳丸寺の石碑です。

裏には東郷平八郎が書いた物だと記されて
います。

鎮海市役所の倉庫に保存されていますと
聞いています。

(写真提供:黄正徳さま)

米国との戦争に負けた日本は引き上げる
事になり、残された建物は韓国人が使う
ようになりました。

当時の鎮海邑北街は現在の鎮海市
余佐洞に替わり、建物は韓国天理教
鎮海教会になっています。

当時の正面門は裏門になっています。

(2009/09撮影)

建物は当時のまま残っています。
本尊の観音さまはどうなったか?
不明です

(2009/09撮影)

少し離れて1枚

鎮海の映画鑑賞會で火事になり多くの
児童が亡くなった慰霊塔が境内にあった
ようですが無くなっています。

(2009/09撮影)


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