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大田電気株式会社

明治40年 忠清南道大田在住の有志が集まって電気事業を 起こすことを決議しました。

明治44年に 三社の競合申請の中で地元資本の大田電気が朝鮮総督府より電気事業の許可を
得たので、大田電気株式会社を資本金8万円で立上げ、発電所建設工事を始めました。
明治45年から電気供給を開始しました。

大田電気株式会社 会長:岡崎遠光、専務:阿弥直次郎、取締役:内藤氏雄

岡崎遠光は 日韓瓦斯電気の設立の時に 曾禰統監
推薦で渡鮮し同社に入りました。

電気事業に詳しい岡崎がいたことが他社を抑えて大田電気の
許可の決手になったと言われています。

電気の安定供給のため予備として2台を設置したので固定
資産の 投資額が大きく開始から数年は経営難になっていました。

大正3年 岡崎氏が亡くなったので山口氏に代わりました。

写真:大田電気沿革史から
大田電気株式会社

大正3年 会長に就任した山口太兵衛は会社の経営
役員を刷新し、経費節約、合理化を進めたので配当が
できるようになりました。

大正7年、資本金を10万に増資して清洲電気株式会社
(創設:青柳八百造)を吸収合併、清洲支店としました。
大正8年、資本金を20万に増資して鳥致院支店を作り
清洲-鳥致院間の送電線を作りました。

写真:大田電気沿革史から
大田電気株式会社

兵庫県 明石水力電気の重役だった古谷虎雄は
渡鮮してすぐ忠清南道の江景で江景電気 株式会社
(創設:西島寅吉)の設立に動きました。

江景電気の社長になった古谷虎雄は忠清道の中心
都市である大田の将来が有望であると考え大田電気
会社の株を買い取り、大正9年 社長に就任しました。

江景電気はその後 南朝鮮電気に譲渡

大正13年 社長の古谷虎雄が亡くなると息子の
古谷脩一が後を継ぎました。

本社:大田府本町2丁目
写真:大田電気沿革史から
大田電気株式会社

京釜線の拠点駅であり全羅線の起点となり
交通の要所になった大田は事業所や人口が
増え 大邱府になりました。

それに伴って電気の需要は増加し、業績は
向上していきました。

従来の100万円だった資本金を50万円に 増資
して発電設備の増設にあたりました。

傍系会社として公州電気株式会社、天安
電気株式会社、利長電気株式会社に送電し
原洲にも支店を作りました。

写真:朝鮮功労者銘鑑より
新社長を専務:川島由三郎、常務:青柳八百造、支配人:竹内清次郎が支えて大田電気は
順調に発展していきました。

昭和12年 戦時体制をつくり、電気事業を統制するため朝鮮総督府は南朝鮮 のすべての
会社の合併を命じました。

大田電気株式会社と傍系の電気会社はすべて 南鮮合同電気株式会社に吸収され消える
ことになりました。


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