大邱駅の前の大道路のすぐ後ろに朝鮮
時代の大邱 を囲む城壁がありました。小さかった大邱を発展させる為に城壁を
壊して 新しい道路を作ったのです。今回は その道路を一回りすることにします。
5回に分けて今回は5回目で最後です。西側の城壁跡の道路から東側に散歩の予定
でしたが・・・日本時代の家屋の多さに驚き
詳細を撮りながら反対方向に撮り直しました。北城路詳細編として ここだけを番地に分けて
詳しく 紹介する予定に変更したのです。
奥に見える高層ビルの左手に大邱駅の 上の部分が見えます。
そのビルの下から最初の東城路の散歩は
始まったのです。奥のビルからここまで全てが日本時代の
建物らしいのです。詳しく写真を撮り始めました。
道の反対側です。
真ん中に見える白い枠がある立体駐車場が
ある場所に昔の三中井百貨店がありました。立体駐車場と横のこげ茶色のビル以外は
日本時代の物の様子なのです。
視点を反対がわの 西方面に切り替えて
詳細を撮りながら移動します。
この付近は戦後の新しい建物の雰囲気です。
どの建物が建替えられたのかを調べる
為にも番地を調べながら歩いていきます。
この道路は産業機械道具の専門街なのです。
戦前の元町と呼ばれた繁華街とは異なる姿
になって一部の専門家の為の町になっています。
機械の部品では大儲けはできなかったので
古い建物がそのまま残ったのでしょう。
日本時代から残っている建物があまりに
多いのでこの北城路だけで数百枚の写真を
撮ったと思います。
この交差点に北門がありました。
城内を南北に抜ける昔の中央路です。左に進むと昔の朝鮮殖産銀行(旧農工銀行)
中央警察署などがありました。もちろん現在も名前は代わっていますが
警察も銀行も存在しています。
普通の人には何の変哲のない機械工具の
街ですが。事情を知って眺めると興奮できる
すごい通りです。シャッターを機関銃のように連続して
押しながら歩いていました。
停まっている自動車も業務用のトラックや
貨物車が多く、隣の東城路の賑やかさと
対照的です。
看板で隠れていますが後ろは両脇とも
日本家屋だと分かるのです。
紹介している写真は連続して撮っている
ように見えると思いますが・・・
紹介しているのは数十枚おきなのです。
右に分かれる道があります。
旧元町はこの道の両脇で 先のほうは
旧八雲町になるのです
旧八雲町(現 寿昌洞)の奥の方にも古い
家屋が見え隠れしているのです。ついフラフラと曲がりたくなりましたが
我慢して真っ直ぐ進む事にします。
全部を短時間で撮るのは無理な事は
分かってるのです。地道に写真を撮りながら地図を塗り
潰すほうが結局 役に立つ資料に
なるような気がするからです。
この北城路だけでも すべての建物を特定する
ことは一人でやっていると生きている内には
不可能でしょうw
分かっていても全ての建物を数枚ずつ撮って
置くと資料になる可能性があるのです。デジカメの記録保存コストがゼロに近いから
できる事だと 文明の進化に感謝です。
前のほうに大邱銀行の白い建物がはっきり
見えるようになりました。もうすぐ 北城路も終わります。
飽きていませんか?
次回は 今回のような簡単な紹介ではなく
北城路の両脇にあるすべての建物を紹介する
コーナを番地別に分けてUPすることを考えて
います。w
写真で詳細を紹介すれば 大邱まで行かない
でも特定作業が出来る可能性がありそうです。ネットでの協力者が現れると少し期待も
あるのです。
ネットは奥が深いから大邱のこの通りを詳しく
考察したいとする人が・・・w
ふぅ 少し疲れた
信号と大邱銀行がはっきり見えます。
もうすぐです。
お疲れ様でした。
西城路に戻りました。
道を直進すると達城公園(旧大邱神社)に
向かいます。