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臨時韓国派遣隊司令部 

明治40年8月 朝鮮の軍隊は解散になりました。
それを不満とした旧朝鮮軍人を中核とした暴動が各地で起こったので暴徒鎮圧の為に
明治40年9月第十二旅団の司令部が大邱に置かれ、歩兵十四聯隊(小倉)が大邱に駐屯しました。
明治42年 歩兵十四聯隊が帰国、大邱守備隊として臨時韓国派遣隊が新設されました。

日韓協約締結後の各地で起きた暴動を鎮圧するためです。

明治43年の日韓併合で臨時韓国派遣隊は臨時朝鮮派遣隊と名称変更
臨時韓国派遣隊司令部

臨時派遣隊の第一聯隊は大田に司令部を
置いて江原道など北方の鎮圧に当たり、
臨時派遣隊第二聯隊の司令部が大邱の
東城路にあって忠清道、慶尚道、
全羅道の3道を管区にしていました。

この第二聯隊が歩兵八十聯隊です。

写真:鮮南発展史(大正2年)
東城路

現在の様子です。

真ん中の道路は東城路 派遣隊司令部は
左の建物の位置にありました。

いつ撤去されたか時期は不明

(2007/11撮影)

旧住所:大邱府大黒町 (出来た当時)
旧住所:大邱府東城町一丁目
現住所:大邱広域市中区東城路1街



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