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慶尚農工銀行・朝鮮殖産銀行大邱支店

慶尚農工銀行

明治29年 日本で出来た農工銀行法に
基づき、明治39年に「大邱農工銀行」と
して発足しました。

株主はすべて韓人で、日本人や外国
人の 株券所有は禁じられていました。

銀行長ほか重役まですべて韓人で
事務職、 技術者は日本人でした。

慶尚南道の晋州農工銀行と合併して
慶尚農工銀行に改称しました。
本店を大邱に置き晋州農工銀行は
慶尚農工銀行晋州支店になりました。


慶尚農工銀行

釜山には最初 草梁出張所を置いていました。
後に慶尚農工銀行草梁支店に昇格

農工銀行なので貸付は下記に限られていました。

1.開墾、排水、灌漑及耕地土質の改良
2.耕作道路の築造又は改良
3.植林事業
4.種苗肥料其の他農工業原料の購入
5.農工業用の器具機械舟車獣畜の購入
6.農工業建物の築造又は改良
7.前各項の外農工業の改良

利息は年8分5厘で年賦償還は10年


慶尚農工銀行

銀行経営を知らない韓人が重役だったので
放漫経営でまもなく破綻、閉塞に追い込まれ
ました。

明治42年春 支配人に安川氏が就任して債権を
整理し、放散な経営をたて直りました。

大正7年に朝鮮総督府の出した「朝鮮殖産銀行令」
で全鮮の6つの農工銀行を合併して、資本金を
1千万円とした 朝鮮殖産銀行になりました。

合併した農工銀行
慶尚農工銀行、平安農工銀行、全州農工銀行、
光州農工銀行、咸鏡農工銀行、漢湖農工銀行

朝鮮の農工業の資金需要にこたえるために
朝鮮殖産銀行大正14年には増資して資本金を
3千万円にしました。

敗戦で米軍の出した日本人帰国命令で手荷物
だけで、すべての資産を残して引き揚げになり
ました。

朝鮮殖産銀行は韓国産業銀行に引継ぎされて
消滅しました。
大邱中心街

当時の大邱中心街です。

慶尚農工銀行の周囲は警察署・郵便局など
重要な施設が集まっていました。
慶尚農工銀行 現在の様子です。
韓国産業銀行(KDB)大邱支店として
使われています。

昭和6年(1931)に朝鮮殖産銀行大邱
支店として建てられた当時のままの
建物が残っています。

現住所
大邱広域市中区布政洞220

(2007/11撮影)


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