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大邱西門市場

西門市場

大邱の西門市場は朝鮮時代は西門を出て、
約300mの所にある旧新川をまたぐ達西橋を
渡った先の河原で開かれていました。

京城と釜山を結ぶ京釜街道と馬山・全州方面に
抜ける統営街道の交差点になり、そこが便宜が
良かったからです。

河原で簡単な日除けのテントや傘を立てた
だけの露店販売なので、雨が降ると市は中止
となりました。
東山キル

大陰暦で2と7のつく日に5日ごとに開市して、
大邱の人々の食料品から日用品まで全ての
品が ここで売買されていました。

朝鮮時代の大邱には常設の店が無かったので、
明治の初期に大邱に移住した日本人は市の日に
雨が降るのが数回重なると食料品が切れても、
買うことができないので大変困ったと記されて
います。

写真中央の道が昔の川(旧新川)で河原の
両脇に市がたっていて賑わっていました。

上の写真の左の木の生えた丘が東山で 
現在 第一教会が建っています。
西門市場

大正15年12月にさらに西南の沼を埋立して
5千坪の敷地を造り移動、西南市場となり
ました。

市の敷地は品物ごとに5間幅の道路でブロックに
別れていて牛家畜、水産物、農産物、衣料、
雑貨と整然と区画され、屋根のある公設市場も
設置しました。

そのため周辺に常設の店舗が増えていきました。

写真:朝鮮の市場経済(朝鮮総督府)388頁
昭和4年発行
西門市場

西南市場は戦後 西門市場に改称され
大きな市場の建物がいくつも建ち、大邱の
台所として毎日賑わっています。


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