明治40年4月(1907) 大邱婦人会が 幼稚園を設立しました。
大邱尋常小学校は児童数が 少なく教室が余っていたのでそこを利用して開園しました。
小学校の児童増加で民家を借りて移転するも 経費の増加で翌年7月に中止になりました。
新たに大邱に赴任した理事官の久水三郎と 夫人が中止を惜しんで演芸会を開催し寄付を 集めました。感動した居留民団長の岩瀬静は 資金集めに奔走しました。
明治43年5月 新築落成、開園式をあげました。 場所は大邱尋常小学校に隣接した北側です。
幼稚園は廃止しない条件で居留民団の 経営に移り、大正3年の大邱居留民団の 解散で大邱公立幼稚園と なりました。
米国に負けた日本人は総帰国することに なり残った幼稚園はどうなったか不明です。
2003年 幼稚園のあった場所は青少年公園になり、 現在の名称 2.28運動記念公園 になっています。
写真上:大邱一斑(明治44年) 写真下:2007/12撮影