fSvjXcAa9J3OA Home >  街角今昔 2 > 漢方薬と市場_大邱 > 資料

大邱の町名(明治)

この地図は明治44年(1911)の大邱の中心街です。
明治40年の城壁撤去の以前の大邱は大邱邑城という城郭都市だった大邱の城内は迷路の
ような細道が入り組んだ道だけでした。
正門である南門から政庁である監察府をへて西門までが車馬が通れる道だったのです。

居留民団は明治41年に町名を定め20の区に分けました。

明治44年大邱居留民団はは市区改正を行い大邱警察署前を元標として十字路の道路を建設して
城壁跡の環状線と結ぶことにしました。

民団は大邱駅前の敷地を鉄道局から借りて1番町から7番町までの商店街を一般に賃借して 運営資金に
当てました。
大正6年(1917)駅前から12間幅の大通りが出来た後の市区改正で明治の町名はかなり消えました。
ここで紹介するのは 明治の町名とその後の 大正・昭和の町名との対比です。

新旧町名の異なった広告などをみると場所を特定することが出来る事があります。
明治時代の大邱

明治41年の区分

第一区
一番町、二番町、三番町
元町一、二、三丁目

第二区
錦町一、二、三、四、五丁目
四番町、五番町、六番町、達城町

第三区
幸町一、二丁目、大黒町、戎町
栄町、東城町一丁目、鉄道官舎

第四区
旭町一丁目、東本町一丁目北部、
東本町二丁目、中町二丁目
明石町、春日町
第五区
龍岡町一丁目、東本町一丁目、龍泉町及び以東一帯

第六区
東城町二丁目、東門町一、二丁目、東本町南部、花園町

第七区
龍岡町二、三丁目、伊吹町、東雲町

第八区
龍岡町四、五、六丁目、旭町四、五丁目、曙町、三笠町

第九区
上町以南城内

第十区
京町、東城町三丁目

第十一区
本町一丁目及其の以南城内一円

第十二区
田町、新町、村上町

第十三区
大和町一丁目、上町一丁目及以東以北、

第十四区
大和町二丁目及以西城壁内

第十五区
西城町、本町二丁目及以北城内

第十六区
明治町、南城町及その以南

第十七区
市場町、市場北町通、達城公園付近一帯

第十八区
元町四丁目、伏見町、御幸町、七番町、日進町、奈良町、芳野町

第十九区
八重垣町(遊郭)

第二十区
停車場北方部落一帯(七星町)


一番町、二番町、三番町
大邱駅前の敷地を鉄道局に返還して残った北側は錦町一丁目になり南は
元町一丁目に編入

四番町、五番町
北側は錦町二丁目になり南は元町二丁目に編入

六番町、七番町
北側は錦町三丁目になり南は元町二丁目に編入

錦町 --->数町を編入して大きくなる
一丁目から3丁目までを合併し一丁目に 変更,四丁目から六丁目までを合併して
二丁目に変更

達城町 --->同じ

幸町 --->同じ

榮町 --->数町を編入して大きくなる

大黒町、戎町 北半分は榮町、南は東本町に編入

東城町一丁目 --->同じ

伏見町
北側は錦町四丁目になり南は元町三丁目に編入、中央部が八雲町に編入 

奈良町
北側は錦町四丁目になり南は元町三丁目に編入、中央部が八雲町に編入 

日進町
北側は錦町四丁目になり南は元町四丁目に編入、中央部が八雲町に編入 

芳野町
北側は錦町五丁目になり南は元町四丁目に編入、中央部が八雲町に編入 

山科町
北側は錦町五丁目になり南は八雲町に編入 

祇園町
北側は錦町六丁目になり南は八雲町に編入 

八雲町 --->数町を編入して大きくなる

元町 --->数町を編入して大きくなる
一丁目、二丁目までを合併して一丁目に変更
三丁目、四丁目までを合併して二丁目に変更

八重垣町 --->同じ

御幸町 --->横町 

丸山町 --->堅町 

東本町 --->数町を編入して大きくなる

東門町 --->町を編入して大きくなる

中町 北半分は榮町、南は東本町に編入

明石町 東本町に編入

旭町 一丁目は北旭町、 二丁目は東本町に編入、三丁目、四丁目は南旭町になる

春日町東本町に編入

龍岡町 一丁目は東本町に編入、二丁目は北龍岡町
三丁目は東門町に編入、四丁目は南龍岡町になる

東雲町 --->同じ

龍泉町 --->(東雲町に編入?)

本町 --->同じ

大和町 --->同じ

京町 --->同じ

村上町 --->同じ

田町 --->同じ

南城町 --->同じ

西城町 --->同じ

明治町 --->同じ

七星町 --->同じ

新町
城内の新町は分割されて、前町、弓町、南町になる
天主堂池を埋立したできた新しい市場を新町と名付ける。(現在の大新洞)


Home . 交通史 . 戦前の絵葉書 . 昔の生活と文化 . 人物 . 釜山の街角今昔 . 大邱の街角今昔 .