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大邱道立病院

大邱道立病院

明治37年(1904)京釜鐵道の嘱託医の
藤縄文順が大邱の将来を考えて東京
同仁会に医院の設置を要請しました。

情熱を受けて明治39年に大邱に医療
施設の設置を決定し、百年前の明治40年
(1907) 同仁会医院を開院しました。

写真は慶北大鑑457頁(昭和11年発行)


道立病院

現在の様子です。

明治40年当時 南韓で最先端の西洋
医学の病院として期待されました。
韓国人に対して薬は半額、治療は無料で
韓国人医師の養成も行っていました。

当時の職員
院長医学博士 池上四郎
副院長 藤縄文順
医員 福武庄蔵
薬剤師 鈴木八郎
庶務 目崎八十八
道立病院

建物の右側です。

明治43年(1910) 朝鮮総督府は民衆救済を
目的に朝鮮十三道に官立慈恵医院の設立を
決定 しました。

目的は一緒だとして 同仁会は朝鮮総督府に
原価で大邱や平壌、その他の朝鮮地区の
同仁会病院を すべて引き渡しました。

名称が官立大邱慈恵医院になりました。
大邱道立病院

近寄って右側を撮りました。

この建物は昭和10年に作られて
昭和13年に人院病棟が増築されました。

医者の養成場所として大邱医学伝習所が
ここから生まれ、昭和8年には大邱医科
専門学校
が正面道路 脇に作られました。
大邱道立病院

正面玄関です。

大邱の大邱道立病院となり終戦まで
医療活動をしていました。

敗戦で日本人が引き上げた後は慶北大学
校病院 となって現在もそのままの建物が
病院として使われています。 <
大邱道立病院

正面

後ろの高層の建物が現在の慶北大学
校病院です。
正面の古い建物は玄関としての役割に
なっています。
大邱道立病院

左側
大邱道立病院

病院が開いてから百年になった記念行事の
看板が正面玄関の上に掲げてあります。
大邱道立病院

玄関です。

昭和初期の雰囲気があります。
大邱道立病院

奥の建物が病院なので一般の人たちも
出入りしているのです。

私も遠慮なく入って写真を撮る事にしました。
大邱道立病院

玄関内左側
大邱道立病院

玄関内の天井
大邱道立病院

一階の両脇は使われていない様子で
暗い廊下です。
大邱道立病院

2階の踊り場から1階をみたところ

階段も面白いデザインン西洋タイルが
埋め込まれよい雰囲気です。
大邱道立病院

2階の右側は廊下が点灯されているので
一部使用されてような雰囲気です。

左側の廊下の灯りは消えてきました。
大邱道立病院

階段の上の明かりは雰囲気が良いので
撮っておきました。

大邱道立病院

石碑に1907年と刻まれています。


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