大邱に 兵を置いたのは明治27年 東学党の乱から日清戦争になった時 兵站司令部と
軍用 通信所を置いたことが最初です。司令部の場所は達城公園 戦争が終わると部隊は電信守備の憲兵隊の一部を残して全て帰還しました。
明治37年7月大邱守備隊として中村軍曹の引率の小隊が大邱に来たのが2回目です。
明治40年9月第十二旅団の司令部が大邱に置かれ、歩兵十四聯隊(小倉)が大邱に駐屯しました。 日韓協約締結後の各地で起きた暴動を鎮圧するためです。
明治43年の日韓併合で臨時韓国派遣隊は臨時朝鮮派遣隊と名称変更
大正5年4月の臨時朝鮮派遣軍歩兵
昭和6年 満州事変のため奉天方面に
米国との開戦によって歩兵八十聯隊は
そこで優勢な米軍及び豪州軍との戦闘で 現在の様子です。
昭和20年 米国に敗れた日本人は総帰国
「キャンプ・ヘンリー」は朝鮮戦争の時の
旧住所:大邱府大鳳町
戦前の大鳳町付近地図(GoogleMap)
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