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臨済宗妙心寺
ニューヨーク照明

 
臨済宗妙心寺

1950年ごろ撮影されたと思われる写真です。
境内に洗濯物が干されています。

日本人が総帰国した後、 朝鮮戦争の難民達が
各地から釜山に集まり、空いた建物に住込んだ
様子です。

お寺の前の道路にある南鮮合同電気路面電車
線路と背景に見える九徳山の稜線で場所の特定が
できます。

(画像:金漢根氏所蔵)
臨済宗妙心寺

妙心寺の境内にあった地蔵、灯篭、鐘は移動され
釜山広域市東区 水晶洞の尼寺(妙心寺)で保管
されています。

(画像:金漢根氏所蔵)
臨済宗妙心寺

写真の広い道路は戦前 釜山の町の中心を
流れていた 寶水川をコンクリ−ト で蓋をして
道路にしたものです。

道路の右側は富平洞で、左は土城洞です。
戦前は ここに富城橋があって 横断歩道を渡り
土城洞の方向に進みます。

(2008/05撮影)
臨済宗妙心寺

交差点から土城洞方面を眺めました。
150mほど先の右手に妙心寺がありました。

明治45年5月布教師の谷紹允明が寶水町に
俗家を 借りて布教をはじめたのが最初です。

まもなく亡くなり、弟子の稲葉拙堂が葬儀を
営み、喜捨を集めて大正2年12月 土城町に
布教場を作ることができました。

大正3年5月大本山管長の親臨で入仏式を行い
妙心寺を名乗りました。

(2008/05撮影)
遺骨名簿

昭和20年9月 米国に敗戦した日本は朝鮮からの
総帰国命令を米軍から受けて、すべてを残して
手荷物だけで引揚げることになりました。

遺骨も持ち帰る事ができませんでした。

それで妙覚寺墓地の遺骨は 釜山日本人世話人会
よって分骨され、昭和21年10月 会長 鏡一以が帰国
時に 遺骨を日本に 持ち帰ることになりました。
福岡市博多区にある聖福寺に 祭壇を造り安置
されました。

ご先祖様の霊に参拝は聖福寺まで事前にご連絡
してからお出かけ下さい。

写真は分骨記録帖、聖福寺所蔵
(2010/06撮影)
臨済宗妙心寺

現在の様子です。

1階は「ニューヨーク照明」という電気店
上の階は卍の付いた看板が2つあるので
2つの テナントが入っているのでしょう。

4階は後で増築された様子が見えます。
戦前の妙心寺の様子をご存知の方ご指導・
ご連絡を頂けると幸いです。

(2008/05撮影)


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