fSvjXcAa9J3OA

葎橋:むぐらはし

寒い冬が去り、春の気配を感じるころ野原や道端の雑草が芽を出し やがて可憐な花を咲かせます。
野の草花は雑草と呼ばれ、無視されたり、邪魔物扱いをする事が多い。

小さな草花達をながめるとそれぞれに季節に対応しています。
昨日 妻が道端で野草を摘み、コップに活けました。
植物図鑑で名前を確認後は ただの雑草ではなく「ヤエムグラ:八重葎」 個性ある一人前の植物に昇格します。
朝食のミルクティーを飲みながら「ヤエムグラ」を観察していました。

雑草は古語で「むぐら」と称されていました。
荒地の草や人の気配が少ないことをあらわす言葉になります。

戦前の釜山の富平町四丁目と土城町一丁目の間に寶水川が流れ、
2つの大きな橋と小さな橋がありました。
大きな橋は北側の電車の通る幹線である大廳通りにかかる「富民橋」と、
南側の瓦斯電気会社前にある「富城橋」です。

2つの大きな橋の間にある小さな橋が「むぐらばし:葎橋」です。

庶民が河辺の柳の木陰を涼しみ、河辺を散歩する程度の利用であり、
幹線ではないので戦前の絵葉書や写真で「葎橋」を見たことはありません。

1970年台の釜山市中区の広報誌で川面にかかる葎橋の面影を眺めることが出来ます。
日本統治時代の「葎橋」の名前は韓国名に変わったのでしょうか?
画像:「中區半世紀」63頁より引用

韓国の高度成長期である1988年のオリンピック前後から始まった道路拡張のため 寶水川はコンクリートでフタをされ
幹線道路(寶水大路)になり、邪魔物になった橋は撤去されました。(2010/01撮影)

写真の中央付近に葎橋があったのですが、当時の面影はありません。


Home . 釜山旅行の基本情報 . 人物 . 歴史 . 乗り物 . 交通史 . 名所・旧跡 . 釜山の街角風景
. 釜山の街角今昔 . 街角今昔2 . 食べた物 . 昔の生活と文化 . 釜山近代史年表