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高遠見水源池

  
高遠見水源池

釜山が大きくなり、人口が増えると飲料水の不足が
深刻な問題になってきました。

明治6年頃は対馬藩が掘った2つの井戸を利用して
明治13年に寶水川の上流から竹樋で水を引くように
し、明治15年には少し大きな木樋に代えていました。

水の需要が増えたので 明治34年  釜山居留地
民団
は総工費1万6千円を出して高遠見の谷間に
貯水池の工事を始め、翌年完成しました。


九徳運動場

貯水量7万4千立方で1万人の90日分を確保
したのです。

周辺を高遠見水源涵養林として264万2383平方
米に植栽して保護しました。(266町4反)

大正12年から3ヵ年計画で拡張工事を行い 
貯水量は19万2千立方に増えました。
旧住所:釜山府大新町
写真は佐賀県立名護屋城博物館所蔵から
九徳水源池

米国との戦争で敗れた日本は朝鮮
半島全土から引上げました。

残った施設は韓国の施設として活用
され釜山市の管理になった水源池は
「九徳水源池」と名前を代えて水道
水源地として利用されました。

写真は1964年ごろ
九徳水源池崩壊

1972年に古い堤が崩壊、貯水池の水が
いっきに周辺の住宅を襲う大きな災害と
なり60余名が犠牲になりました

被災者の850名(165世帯)は海雲台区に
新たに区画整理された盤如2洞に集団
移住 することになりました。

(写真:釜山の朴さま提供)
東亜大学医学部

現在の様子です。

東亜大学医学部病院を中心とした市街地
として再開発され、明治の頃に作った 貯水池の
痕跡は消えました。

(2007/02撮影)


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