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釜山府立順治病院

 
釜山府立順治病院

明治19年4月に釜山一帯でコレラ(虎列刺)が
流行した時 居留民団では佐須土原海岸
(後の緑町遊郭前の海岸) と牧の島に臨時に
隔離入院施設を作りました。

明治39年 病院を新築して釜山公立病院附属の
施設になり 明治40年 釜山府立伝染病院と
して独立しました。


釜山府立順治病院

釜山府立伝染病院は大新町に移転して釜山府立
順治病院と 名前を代えました。

病院の目的が伝染病患者を隔離して、一般住民
との接触を回避するためなので、釜山郊外の
大新町に病院・入院施設が作られたました。

写真は大新町の府立順治病院の正門
釜山府立順治病院

釜山府立病院の入院設備の充実に伴い
伝染病患者を隔離ではなく、入院集中治療に
方針が替わったので遠隔地の病院は不便として
釜山府立順治病院は廃止になりました。

昭和11年春に跡地に釜山公立高等小学校が寶水町
から 移転して来ました。

昭和16年の学校令改定で釜山公立高等小学校は
釜山公立第五国民学校に改称

昭和20年9月米国との戦争に敗れた日本は帰国を
命令され、廃校

1946年4月から土城町の高等女学校の跡にできた釜山女子高校がここに移転しました。
1975年5月 釜山女子高校は沙下区に移転、学校敷地は区画整理され市街地になりました。

旧住所:釜山府大新町52 現住所:釜山広域市西区西大新洞1街52

現在の様子です。病院や学校のあった痕跡はありません。
東大新洞駅付近


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