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釜山公立第二尋常小学校
釜山公立花朗初等学校

  
釜山公立第二尋常小学校

釜山府寶水町にあった時の釜山公立第二
尋常小学校 戦前の姿です。

最初は寶水町の高等小学校内に尋常高等科
として在り、明治45年3月に分離して釜山公立
第二 尋常小学校になりました。

当時の住所:釜山府寶水町一丁目50

出典:釜山要覧:釜山商業会議所:大正元年
所蔵:近代デジタルライブラリー:YD5-H-326-37:29コマ
昭和4年 新校舎を大新町に建設、移転しました。
残った校舎、敷地は釜山公立工業補習学校になる

普通教室:15 特別教室:1
児童数:男442名 女373名 合計815名
校庭:1,579坪
内地人(日本人)のための学校です。

旧住所:釜山府大新町348

昭和16年(1941) 釜山第二公立国民学校に改称

釜山第二公立国民学校校歌
				作詞:八波訓吉
				作曲:田村虎三
1.日々に栄ゆく大御世の瑞雲四時にたなびける
 九徳山下の一聖地 我が学び舎はそそり立つ

2.起てや我が友釜山こそ亜細亜の門戸逸早く
 欧亜文化の粹を採り、皇国に盡す港なれ

3.萬朶の桜日に映ゆる大和心の花と咲く
 至誠至醇の校風をいざや進めん永遠に

校歌(釜山日報:昭和10年2月6日)

昭和18年の職員録
学校長:中江壽登、訓導兼視学:片岡文雄、教頭:神山則忠
訓導:藤村海造、益田政雄、山中勇、古原憲太郎、山口九州男、永富武男、伊藤謙三郎、世良喜市
津田弘、春山茂、冨谷利和、小野ヒソミ、吉村サラエ、下山忠治、原田義達、角永稔、高木冨貴子
上大迫茂子、松永喜久子、吉益美枝子、林シゲ子、神谷文子、香川光子、井上房子、佐藤久子、
片山妙子、橋山初枝

花郎初等商業学校

戦後 学校名が光新国民学校となり、
1946年11月から釜山師範学校と釜山
師範学校付属国民学校となりました。

1950年 朝鮮戦争が始まると 「国連軍
第21後方病院」として提供されました。

学校は移動して 富民国民学校の1部を
使い、継続していました。

写真は釜山師範学校卒業アルバムから
1956年(壇紀4289)
花郎初等商業学校

現在の様子です。

1962年に釜山師範学校は東莱に移転して
釜山教育大学校に改称し、残った施設は
「花郎国民学校」となりました。、
1996年に「花郎初等学校」に改称しました。

両端の校舎と中央の校舎ではデザインが
異なるので建設時期が異なると思われます。

(2007/02撮影)
花郎初等商業学校

裏門に回ってみました。

装飾のある柱は戦後すぐの韓国の建物
にはあまり見られないので 昭和4年に
作られた建物かもしれません。

(2007/02撮影)
花郎初等商業学校

新しい建物との段差があって無理に合わせた
様子をご覧下さい。

このようなものに感心して写真をいっぱい
撮ってる私を見た通行人は理由が理解でき
ないと思いますw

現在地:釜山広域市西区東大新洞1街348

(2007/02撮影)


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