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曹洞宗総泉寺

 
曹洞宗総泉寺

釜山の市街地の西方は天馬山と峨媚山に
さえぎられています。

釜山の観光名所である国際市場(新昌洞)に
あるユナの屋上から 撮りました。

天馬山と峨媚山の谷間、で台地の広がる
釜山府谷町にあった曹洞宗の総泉寺は
撤去されて「 峨媚初等校」という 小学校の
敷地になっています。

(2007/07撮影)
曹洞宗総泉寺

峨媚山の中腹から「峨媚初等校」を撮った
ものです。(中央の高層建築)

山の中腹までの斜面を住宅が這い上がって
いる 釜山の建築事情が分かります。

明治35年(1902)9月に草葉町1丁目に総泉寺
別院を 設け、釜山禅宗教会の名称で開教した
のが 最初です。

布教師の松村良寛が明治38年堂宇の建立を
計画し、明治41年釜山市街を一望できる山の
中腹に禅寺が できました。

(2008/05撮影)

明治45年5月統監府の許可を受け「峨媚山総泉禅寺」と称し、曹洞宗西本山の直末となりました。

境内敷地3,112坪 本堂建坪42坪 向拝3坪、位牌堂6坪 方丈18坪 庫裡16坪

昭和20年9月 米国に敗戦した日本は朝鮮からの総帰国命令を受けて引揚げることになりました。

総泉寺墓地の遺骨は釜山日本人世話人会によって分骨され福岡市の 聖福寺に 安置されました。
ご先祖様の霊に参拝は聖福寺までご連絡の上、お出かけ下さい。

空いた寺の敷地や建物は土城町の釜山高女の敷地の一部を使って1946年に開校した釜山師範学校の
併設中学校として使用される ことになりました。
釜山師範学校併設中学校は初級科、本科、講習科の3科で始まりました。

1950年 朝鮮戦争が始まると、校舎(寺)は 第21後方病院として使用されました。

1955年ごろの教育実習風景です。

本堂は職員室、本堂右手の建物が
校長室、左手に教室が作られました。

画像:釜山教育大60年史から
1956年 釜山師範大学付属中学校に改編
総泉寺の石垣

道路が曲がる、中央の柱の手前付近から
境内に 上がる長い階段がありました。
(2008/08撮影)

釜山師範大学付属中学校時代までは階段も
あったと 聞いています。

釜山師範大学付属中学校は大新洞の校舎に
移転になりました。

跡地は1959年4月に峨媚国民学校が開校
その時 正門が現在の場所に移動し、階段や
寺の建物は撤去されて小学校が出来たよう
です。
1962年 釜山師範大学付属中学校は釜山西中学に改称
釜山師範学校10期

釜山師範学校の10期で卒業した「カン・○○」さま
から当時の学校や寺の様子をいろいろ聞かせて
頂き ました。

プライバシー保護のため画像修正しました。

(2010/06撮影)


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