fSvjXcAa9J3OA
Home > 釜山の街角今昔 > 谷町 > 一丁目
Home > 釜山の街角風景 > 釜山広域市西区 > 峨媚洞 > 1街

釜山府立病院
釜山医科大学付属病院

  
釜山府立病院

弁天町の釜山府立病院は狭いので昭和7年から
移転の検討が始まり、昭和8年 谷町二丁目に
7千2百坪の敷地を買収しました。

昭和10年1月から工事が始まり、昭和11年3月
完成し、6月病院業務を始めました。

明治10年の官立済生病院(琴平町)から60年で
大病院に 進化したのです。
釜山府立病院

昭和18年11月 増築、新装

写真 大阪朝日新聞南鮮版より
釜山府立病院

釜山府立病院の全景(絵葉書)です。

斜め後方の谷町(峨媚洞)の天馬山斜面から
撮影されたものです。

画像提供:申政uさま
釜山府立病院

昭和10年 新築時の配置図
(クリックで拡大)

左側が通常の病院で右側は伝染病専用です。

病院本館 延701坪

地下:69坪 1階:417坪 2階:311坪
一般病舎 延1202坪
病棟 701坪
附属建物 500坪  
伝染病舎 延639坪
病棟 407坪
附属建物 232坪  
看護婦宿舎 延142坪
釜山府立病院 敗戦で米軍の出した日本人帰国命令で
すべての資産・設備を残して帰った後、
独立した韓国は施設を釜山市立病院と
して使いました

朝鮮戦争が始めると ここは陸軍病院に
なり、市立病院は寶水洞に移転しました。
1956年西区の玩月洞に移転、
1962年釜山鎮区の釜田洞に病院を新築
移転、 現在に至ります。

時期は不明ですが 3階に増築されています。
写真:西区誌(1978年発行)より
釜山府立病院

朝鮮戦争の期間 ここは陸軍病院になり、
戦争が終わった後の建物は釜山医科大学
付属病院になりました。
現在は大きなビルに建替えられています。

(2005/08撮影)


病院変革

戦前

官立済生病院(琴平町) -->官立済生病院(弁天町) -->釜山共立病院 -->釜山公立病院
釜山居留民団立病院 -->釜山府立病院 -->釜山府立病院(谷町)
戦後
釜山府立病院-->釜山市立病院-->陸軍病院-->釜山医科大学付属病院
Home . 釜山の基本情報 . 人物 . 歴史 . 乗り物 . 交通史 . 名所・旧跡 . 釜山の街角風景 . 街角風景2
. 釜山の街角今昔 . 街角今昔2 . 食べた物 . 昔の生活と文化 . 釜山近代史年表 . 近代史年号一覧