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釜山府本町五丁目を観察しよう。

釜山府本町のご町内シリーズの最後が本町五丁目になる。
釜山は港町で朝鮮半島に渡る日本人の玄関であった。

江戸時代に対馬の人達が対朝鮮外交や貿易をするためにできた草梁倭館は明治10年の釜山開港後
そのまま釜山日本人居留地になり、居留地の港付近が本町になった。

本町一丁目、本町二丁目、本町三丁目は旧草梁倭館の塀の内部で、本町四丁目と本町5丁目は
草梁倭館の外に明治42年の町名改定の時に編入されてできた。

今回は釜山の本町五丁目の歴史を眺める。

本町五丁目の名称が最初に出た理事庁記録に下記のように記されている。
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釜山町名竝区域変更の件
釜山理事庁令第三号
釜山居留民団区域内の町名竝其の区域 左の通之を変更す 其の図面は居留民團役所に備付く
明治四十二年五月十二日
釜山理事庁理事官 亀山理平太
一 北濱町一丁目北境より草梁坂までを本町五丁目とす
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本町五丁目の管理変遷

江戸時代の草梁倭館時代は朝鮮政府の下に慶尚道観察使がいて、その下に東莱府があり
東莱府が草梁倭館を設置し対州府中藩(対馬)が管理していた。
本町五丁目付近は伏兵山の斜面で豹など野生動物が徘徊する原野であった。

明治10年の釜山開港になると、草梁倭館の内部は日本人専管居留地となり、伏兵山の北側
斜面から草梁までは各国居留地となった。
草梁に清国居留地、旧釜山駅のところにあった山は英国領事館敷地となり、まだ本町五丁目の
名称は無い伏兵山北側斜面(草梁坂)に海関官舎や露西亜領事館敷地が設定された。

明治38年(1906)12月 第二次日韓協約に基づいて統監府ができると大韓帝国の外交権が
日本帝国政府に移り、主要都市にあった領事館 は名称が理事庁に替わった。
責任者が領事から理事官になった。

明治42年 区域変更で伏兵山北側斜面一帯が釜山浦本町五丁目になった。

明治43年(1910)8/22 日韓併合条約に よって理事庁は消え、10月1日東莱府から分離して釜山府となる
以後 釜山府本町五丁目

1945年 WW2の敗戦で日本人が引き揚げ、朝鮮半島南部は米国GHQに占領され、北部はソ連に占領された。
1948年 朝鮮の南北が独立、南は大韓民国、北は朝鮮民主主義人民共和国となった。

1949年 釜山府は釜山市に変更、町名も変わり本町五丁目は東光洞5街になった。
19??年 大廳町四丁目の一部が東光洞5街に編入。
1963年 釜山市は韓国政府直轄の釜山直轄市に名称が代わる。

1995年 釜山廣域市になる。時代は変わっても境界は同じである。

2007年 韓国は洞名(町名)を廃止して 道路名に数字を付ける住所に変わった。

画像・地図で見る本町五丁目

明治20年(1887)釜山海関長官舎から見た釜山湾の様子。

釜山湾内の様子が一望できる草梁坂(本町5丁目)の斜面に海関長(税関長)官舎があった。
釜山湾の入り口にある五六島は釜山のシンボル

歴代釜山税関長
1代 英 ロバット(W.N.Lovatt:1833-1904):明治16-19(1883/10-1886/5)
2代 仏 ピり-(T.Piry):明治19-21(1886/6-1888/7)
3代 英 ハント(J.Hunt):(1888/7-1898/2)
4代 仏 ラボート(E.Laporte):(1898/7-1901/7)
5代 英 オスボーン(W.C.Osborne):(1901/7-1904)
6代 伊 ペコリニー(F.Borini):(1904-1906)
7代 日 山岡義五郎:明治39年(光武10年:1906/1-1912)

明治36年の地図に本町5丁目付近を水色で囲んだ。(当時は本町5丁目はまだ存在しない)

各国居留地の文字が見え、左側に露国領事館敷地の表示があり、道を挟んで斜めに海関長官舎

釜山府勢要覧の官公署一覧で大正十年版は露西亜領事館があり、大正13年版では消えている。
それで露西亜領事館は大正11-12年の間に無くなったと思われる。

昭和11年の地図に本町一丁目から五丁目までを色分けした。
釜山府本町五丁目は水色である


埋め立てで分からなくなっているが本町の右側は弧を描く海岸であった。

釜山直轄市時代の地図に東光洞5街を水色で囲んだ。
右側の三角に似た囲みが旧本町五丁目、左の囲みが旧大廳町四丁目から東光洞5街に
編入された部分

2017年11月に釜山タワーから撮影。釜山廣域市中区東光洞5街を水色で囲んだ。
水色で囲んだ部分の右側が旧本町五丁目で左側の部分は旧大廳町四丁目の一部が東光洞5街に
編入された部分

伏兵山の北側斜面は見えないので推測してください。


海関官舎から見た釜山湾:釜山・釜山港130年:釜山廣域市中区発行:2005年:55頁

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