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Home > 街角の風景 > 釜山広域市中区 > 東光洞 >釜山府本町四丁目を観察しよう。
釜山は港町で朝鮮半島に渡る日本人の玄関であった。
江戸時代に対馬の人達が対朝鮮外交や貿易をするためにできた草梁倭館は明治10年の釜山開港後
そのまま釜山日本人居留地になり、居留地の港付近が本町になった。本町一丁目、本町二丁目、本町三丁目は旧草梁倭館の塀の内部で、本町四丁目は
草梁倭館の外に最初にできた町である北濱町が本町に編入されてできた。
今回は釜山の本町四丁目の歴史を眺める前に北濱町の歴史を述べたい。
領事館記録に下記のように記されている。
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館北祖界外地所之義 町名北濱町ト名付 別紙畧図之通番号相定候ニ付為心得 相候也
明治十三年七月十二日在釜山港 領事館
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明治36年の地図に朝鮮国釜山浦本北濱町を緑線で囲んだ。
北濱町一丁目と二丁目の境は破線で記した
明治10年に釜山が開港。それまで対馬の人達や政府関係者しか渡航ができなかったが
旅券を持った日本人なら誰でも釜山に渡れるようになった。
海外に夢を持った人たちが釜山に渡り人口が増え、港の近くである本町が手狭になり、
専用居留地の拡大を朝鮮政府に求め明治13年から許可が出て北濱町ができた。本町通の延長の道路の海側を一丁目、山側を二丁目とするこの地図が正しいと考えるが
海側を二丁目、山側を一丁目と記した地図も複数ある。
明治13年に北濱町ができて、明治42年に本町に編入されるまでの間に丁目が反転した
かもしれない。明治42年5月12日の釜山理事庁令第三号による町名改定で大廳通の南側の北濱町は本町
三丁目に編入され、残りは本町四丁目となった。
明治43年(1910)8月、韓国併合があり、10月1日東莱府から分離して釜山府となる。
以後 釜山府本町四丁目
昭和11年の地図に本町一丁目から五丁目までを色分けした。
釜山府本町四丁目は黄色である
本町四丁目が海岸沿いに長く伸びた様子が残っている。
埋め立てで分からなくなっているが本町の右側は弧を描く海岸であった。
1945年 WW2の敗戦で日本人が引き揚げ、朝鮮半島南部は米国GHQに占領され、北部はソ連に占領された。
1948年 朝鮮の南北が独立、南は大韓民国、北は朝鮮民主主義人民共和国となった。韓国が独立した翌年の1949年 釜山府は釜山市になり、町名も変わり本町4丁目は東光洞4街になった。
1963年 釜山市は韓国政府直轄の釜山直轄市に名称が代わった。
釜山直轄市時代の地図に東光洞4街を緑で囲んだ。
境界線が変わり明治13年当時の北濱町時代の境界に戻った。
釜山廣域市の時代になっても境界は同じである。
韓国は2007年に洞名(町名)を廃止して 道路名に数字を付ける住所に変わった。
町名や町の境界は歴史の中や登記簿に残るだけになった。
2017年11月に釜山タワーから見下ろし、釜山廣域市中区東光洞4街(旧釜山浦北濱町)を
緑線で示した。
建物の後ろの線は見えないので角を見て推測してください。
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