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釜山府本町三丁目を観察しよう。

釜山は港町で朝鮮半島に渡る日本人の玄関であった。

江戸時代に対馬の人達が対朝鮮外交や貿易をするためにできた草梁倭館は明治10年の釜山開港後
そのまま釜山日本人居留地になり、居留地の港付近が本町になった。

本町一丁目には税関や商船会社、倉庫などが並び、
本町二丁目には第一銀行、大貿易会社や富豪の住宅
本町三丁目には中小問屋や諸会社が多く並んでいた。

今回は釜山の本町三丁目の歴史を眺める事にしたい。

明治20年ごろの釜山浦本町の様子。(韓国併合前は釜山府ではなく、朝鮮国釜山浦本町、大韓帝国釜山港本町)

視線方向は南
中央に見える木立の丘が龍尾山で、そこから港の護岸までが本町一丁目。

護岸から弧を描く海岸の右端までが本町二丁目で、残りは本町三丁目。

明治36年の地図に朝鮮国釜山浦本町三丁目を緑線で囲んだ。
倭館時代に日本人が出入りした通用門である「設門」は本町2丁目にある第一銀行の後方(海側)にあった。

参考の為に倭館時代の地図に本町三丁目を緑線で囲んだ
倭館地図の原図は左側(西)が上であったが他の地図と合わせるため、北を上に回転させた。

明治9年の日朝修好条規後、すぐ倭館の周囲を囲む塀や門などの撤去が始まり、
明治10年の釜山開港で倭館跡が日本人専管居留地になった。
居留地の人口が増えると、住居用地が本町三丁目の北側(上側)に広がるようになった。
日本政府は朝鮮政府と交渉し、専管居留地の拡大を申し入れ、明治13年に北濱町ができた。

明治43年(1910)8月、韓国併合があり、10月1日東莱府から分離して釜山府となる。
以後 釜山府本町三丁目

大正5年の地図に本町三丁目を緑線で囲んだ。
大正の地図になると明治後半に始まった北濱埋め立てが完成し本町三丁目は海から離れ、北濱町が消え、
旧倭館内にあった北濱町の一部が本町三丁目に編入された。(明治42年 釜山理事庁令第三号)

昭和11年の地図に本町三丁目を緑線で囲んだ。
薄黄色は旧常磐町、薄青は旧北濱町

昭和二年七月十一日付 慶尚南道告示六十四号による町名改定があり、本町三丁目に常盤町1,2,3,4,6,7,8番地)が加算され、
面積が(龍頭山東側斜面)拡大した。

1945年 WW2の敗戦で日本人が引き揚げ、朝鮮半島南部は米国GHQに占領され、北部はソ連に占領された。
1948年 朝鮮の南北が独立、南は大韓民国、北は朝鮮民主主義人民共和国となった。

韓国が独立した翌年の1949年 釜山府は釜山市になり、町名も変わり本町3丁目は東光洞3街になった。
1963年 釜山市は韓国政府直轄の釜山直轄市に名称が代わった。

境界線が少し変わったが、全体の様子は似ている。

旧本町三丁目の中央付近に旧漢城銀行釜山支店の建物が残っている。
現在は1Fが「漢城1918」という喫茶店になっている。

通り名も戦前は「本町通」だったが現在は「白山キル」となっている。

韓国は2007年に洞名(町名)を廃止して 道路名に数字を付ける住所に変わった。

旧漢山銀行釜山支店の住所変遷は下記である。

日本統治時代:釜山府本町三丁目11番地
釜山直轄市時代:釜山直轄市中區東光洞三街11番地
現在:釜山廣域市中區白山キル13

2017年11月に釜山タワーから見下ろし、旧釜山府本町三丁目を緑線で示した。
建物の後ろの線は見えないので角を見て推測してください。



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