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釜山府本町一丁目を観察しよう。

日本各地の古い街に元町や本町という町名をよく見かける。

これは町の発祥場所であることを意味している事が多い。

朝鮮半島の日本人町も同様である。慶尚南道の釜山では港の側が本町であり、開港後の釜山の日本人町がここから発展した。

慶尚北道の大邱では鉄道京釜線の大邱駅の側が元町になっていて、 そこから日本人居住地が広がった。

ソウルでは朝鮮総督府の前身である統監府や領事館のあった南山の麓 で現在の忠武路が本町であった。
領事館の周辺から日本人が住み始めたのである。

木浦や郡山など日本人町があった所は、旧町名でおよその発展経路が 分かるのが面白い。

釜山は港町であり、日本人は船で渡鮮、上陸する本町一丁目から活動が始まる

明治の初めの頃の本町1丁目の港に上陸すると目の前に海関(税関)、 左手に日本郵船社屋
奥に龍頭山と中腹に洋館建ての 領事館が見える。

海関の後ろは 日韓商船会社、 大坂商船会社、 海岸郵便局、 十八銀行五十八銀行など企業が集中している場所が
本町一丁目であった。

明治36年の地図に本町一丁目を緑線で囲んだ。

大正になると明治後半に始まった北濱埋め立てが完成し本町一丁目は 最大の面積になった。
大正5年の地図に本町一丁目を緑線で囲んだ。

明治の頃の上陸場所であった本町一丁目の港は漁船専用となり、旅客・貨物は地図左側にある 釜山桟橋関釜連絡船
商船会社の大型貨物船が横付し、便利になった。
明治45年6月 釜山駅の側に第一埠頭(旅客用)、 大正7年7月第二埠頭(貨物用)が完成し 桟橋まで列車が出入できるようになった。

地図に辨天町二丁目と記されているが、これは印字ミス。正解は辨天町一丁目

大正時代の本町1丁目。「甍(いらか)の波と雲の波重なる波の中空を・・・・」文部省唱歌:こいのぼり:作者不明
この歌が自然に出てくる日本家屋の屋根の連なりが日本の一地方都市としての釜山の風景である。
左の洋館は 百三十銀行(本町1丁目25-1)、奥の方の山は龍頭山で右中腹に洋館建ての釜山府庁舎が見える。

百三十銀行の後ろに煙突のある2階建ての建物がある。 これは大池旅館(辨天町1丁目38)である。
百三十銀行と大池旅館の2つの建物の角度から写真は龍尾山から撮影されたことが分かる。

反対方向の龍頭山から龍尾山方向を眺めた画像である。
本町一丁目の南端が龍尾山で、山の後ろ側は南濱町一丁目になっている
龍尾山から左側が本町一丁目の町内である。

映画館の相生館の屋根が見る事と龍尾山握右側の 煙突から煙が出ていない事から大正5年以降の大正時代の撮影だと分かる。

後ろの影島の稜線の姿を覚えて最後のロッテ百貨店の画像と見比べて釜山の繁栄と本町一丁目の歴史を感じて欲しい。

昭和になると釜山と影島を結ぶ釜山大橋(渡津橋)の工事が始まり 路面電車の軌道設置に関連した道路拡張と
龍尾山跡地に釜山府庁建設 などで市街地が再編され本町1丁目の南側は大橋通3丁目になり、 本町一丁目は小さくなった。

大型船が入る埠頭も増設され終戦までに4つの埠頭ができたので、漁港はさらに小さくなり南側に移動した

WW2の敗戦で日本人が引き揚げ独立した翌年の1949年 釜山府は釜山市になり、町名も変わり本町一丁目は東光洞1街になった。
1963年韓国政府直轄の釜山直轄市に名称が代わった。

境界線が少し変わったが、全体の様子は似ている。

1952年 東光洞1街と南浦洞1街の境界付近で火事が発生した。
屋根に人が上っている建物が東光洞1街(旧本町一丁目)で白い四角の建物は南浦洞1街である。
後ろの建物は釜山市庁舎(旧釜山府庁舎)

この画像は出所不明なので削除予定(朝鮮戦争直後なので米兵の撮影?)

火事の後 赤線で囲んだ建物が撤去された。

路面電車を廃止して地下鉄に切り替えする工事に道路拡張が必要だったと推測。

1993年版の道路地図(中央地図文化社発行)で東光洞1街を見ると東光洞1街の南半分はすべて道路用地である。
道路地図なので町の境界について重視していない。上記の箇所が道路になった確認程度に見て欲しい。
釜山市廳は大橋洞3街であったが、大橋洞は中央洞に吸収され、中央洞7街になっている。

1995年に釜山直轄市は廃止なり、釜山廣域市になったが境界はほとんど同じだが道路上の境界は無視している。

2003年版の道路地図(成地文化社発行)で東光洞1街を見ると釜山市廳や周辺がローテワールド建設用地となり
更地になっている。

本町付近の漁港が小さく残っていたが、これも埋められ消えてしまった。埋め立てラインを赤線で記した。

2005年 釜山タワーから撮影した。埋め立てが終わったロッテ建設予定地
昭和の初めまで ここには龍尾山があって本町一丁目だった所だ。

2017年 釜山タワーから撮影したロッテ百貨店。3棟が完成している。
4番目は100階建てと聞いている。釜山繁栄の為に頑張って欲しい。

韓国は2007年に洞名(町名)を廃止して道路名に数字を付ける住所に変わった。洞(町)が無くなると境界もない。
日本人の朝鮮半島進出の基点になった本町一丁目は歴史の中だけで存在している。


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