fSvjXcAa9J3OA
Home > 釜山の街角今昔 > 釜山府本町 > 1丁目
Home > 街角の風景 > 釜山広域市中区 > 東光洞 > 1街

十八銀行釜山支店
ウリ銀行東光支店

 
一八銀行釜山支店

明治10年 第十八国立銀行として設立され、
明治15年 釜山出所を釜山支店に昇格
明治23年に仁川支店、明治27年に元山支店を
設け海外に進出を始めました。

明治27年 第百二国立銀行を買収・第百二国立
銀行釜山支店が第十八国立銀行釜山支店に
明治30年 長崎に本社を置く株式会社十八銀行
となりました。(頭取:松田精一)

同年 増資に合わせて釜山に支店の建物を作りました。
十八銀行社史「三十周年記念誌」より
釜山居留地時代地図

明治の釜山居留地時代の釜山地図です。

明治の釜山開港以前の釜山居留地には
対馬藩の人たちだけが住んでいました。

明治になって対馬藩は長崎県になりました。

開港して他府県の人たちも住むことが
出来るようになりましたが大半は長崎
県民です。
株式会社十八銀行

顧客需要と韓国の金利が割高で経営上
有利な点に着目海外進出を積極的に進め
ることになったのです。

総督府の統制政策で朝鮮殖産銀行を保護したのと
長崎-朝鮮の交易が下関-朝鮮に移り長崎の比重が
下がってきて市場占有率が下がってきました。

昭和11年に釜山支店など9つの海外支店を 朝鮮殖
産銀行
に譲渡し、海外支店から撤退しました。

経緯は分かりませんが・・昭和14年の地図では
建物は朝鮮信託銀行になっています。

殖産銀行は 旧住所は釜山府本町1丁目7
当時の支店長:渋谷敏夫
釜山営業家要覧:9頁:昭和3年発行より
ウリ銀行

戦前に十八銀行釜山支店のあった場所は
「ウリ銀行」の建物が建っています。

この東光洞付近は金融機関が集まった
場所で、現在でも多くの銀行があります。

現住所:釜山広域市中區東光洞1街7


(おまけ) 国立銀行になる前の略史

明治5年1月に長崎市内東濱町で貸金業として資本金5万円の合資会社氷見・松田商社を
設立した所から始まります。

同年末に8万円に増資し、社名を「立誠會社」に変更

明治8年10月に株式會社に変更しました。

明治9年8月に国立銀行条例が公布されたのを受け、立誠會社を解散して
国立銀行への移管を決議

資本金15万円の内5万円を旧役員である発起人が引受、10万円を公募したら
11万円集まったので資本金を16万円に訂正して第十八国立銀行が新設されました。


Home . 釜山の基本情報 . 人物 . 歴史 . 乗り物 . 交通史 . 名所・旧跡 . 釜山の街角風景 . 街角風景2
. 釜山の街角今昔 . 街角今昔2 . 食べた物 . 昔の生活と文化 . 釜山近代史年表 . 近代史年号一覧