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東本願寺別院
大覚寺明治10年の釜山開港以前は對馬の人達だけが
交易の為居住する草梁倭館と呼ばれる 区画が
作られていました。地図では右が北、上が西、左が南
下が東です。龍頭山の西側には釜山に居留地を置く目的
である貿易用の倉庫地域になっています。朝鮮の官用交易倉庫だった中大廳は釜山の
開港後は不用になったので、東本願寺に
無料永代貸与されることになりました。大谷派本願寺の奥村円心が釜山布教所を
開きました。
この建物は文政5年(1822)に焼失した後、
文政11年5月に再建された、釜山で最も古い
建物として保護されていました。昔の地図には普通に東本願寺と記載され
ています。本願寺は教育や慈善事業に熱心で 最初の
小学校の基礎はここで生まれました。明治34年に釜山に渡った 井上香憲 も居留民の
子弟教育の為 最初の 幼稚園を作りました。旧住所は釜山府西町1丁目6
昭和20年9月 米国に敗戦した日本は朝鮮からの総帰国命令を受けて引揚げることになり、
東本願寺は引揚者の医療所になりました。(釜山日本人世話人会医療防疫部)昭和20年12月 釜山日本人世話人会医療防疫部は大廳町2丁目の田口病院に移転
東本願寺は伝染病患者病棟として使われました。東本願墓地の遺骨は釜山日本人世話人会によって分骨され福岡市の 聖福寺に 安置されました。
ご先祖様の霊に参拝は聖福寺までご連絡の上、お出かけ下さい。
現在の様子です。
入口を除いて周りは店舗になっています。
ブティックや小物・雑貨の店です。
本殿に見える建物も中身は店舗の
雰囲気があります。未確認です。釜山で最古の木造建築物だった東本願寺の
建物はコンクリートの建物に替わっています。
現在の名前は「大覚寺」として韓国人の
僧侶によって運営されています。雰囲気で禅宗のようですが 良くわかりません。
現住所:釜山広域市中區新昌洞1街6。
釜山タワーから見た全景です
裏のBC通りの方から眺めた大覚寺です。
奥まで衣料関係の店舗になっている事が
分かります(2207/03撮影)
さらに上のほうは在庫品?と思われる
ダンボール箱が積み上げられています。(2207/03撮影)
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